2012年1月13日 (金)

『電材流通新聞』に原稿を書きました・其ノ肆

20120110


 2012年正月、一番発行部数の多い業界紙『電材流通新聞』の「年頭所感」として、業界トップが挨拶文を寄せた中、弊社では、私がその任に着き、被災者で被曝者だけど、年男だし会社も創業80周年だから、ちゃんとやるよんという覚悟をこめて、文章を書きました。
 よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。写真も載っていますがまっ黒です(笑)。
http://www.246.ne.jp/~tk433/20120110.pdf

|

2011年10月13日 (木)

放射能に台風ときたもんだ

 9月12日、6月に会社敷地内に植えたひまわり(あまりきれいには咲きませんでした)2,000本を根っこから引っこ抜いて、ついでに草も刈って、集めてみたら7マイクロシーベルト/時でした。ドラム缶7本に詰めて、業者を呼んで穴を掘って、コンクリート漬けにしました。

 9月16日、高圧洗浄機による除染開始。主に建物の屋根・壁、そしてアスファルト舗装部をねらっていますが、除染前の計測では雨樋や側溝の線量(距離1cm)はまだまだ高く、9マイクロシーベルト/毎時の箇所を発見。除染後には約半分に(それでも半分、ですが)落ちて4~5マイクロシーベルト/毎時になりました。だいたい、高圧洗浄機による除染の効果は、数値を半分にすると考えればいいのかな、と思っています。

20110923_1_boat256 9月21日夜、台風15号上陸。須賀川市内はあちこちで冠水、倒壊の恐れがあるため須賀川アリーナ(屋内競技場)に移転していた市役所の一部も机の上まで水に浸かり、庁用車11台がおじゃん。仮設住宅も床上浸水で全国に報道されるありさま。私が常宿にしている北へ15kmの郡山市のホテルまでは、冠水箇所が多すぎて、車でたどり着けたのが奇跡のようでした。

 一夜明けてみれば同じく郡山市在住の社員2名が住宅の一階部分がキッチンの上までやられ、うち1名は水が退かずにボートで救助されたとのニュース(この写真は9月23日の福島民報一面トップを飾ったもので、その社員一家が写っています!)。もう一日おいてから、高圧洗浄機と発電機を社員4名に持たせて、洗浄の手伝いにいってもらいました。高圧洗浄機の本来の使い方ができてうれしいというかなんというか(笑)。

 低線量内部被曝(食物・水や空気から摂取し体内に放射線物質を取り込んでしまう)の恐ろしさがだんだん活字レベルではまっとうに流通するようになってきました。難しい話はもちろん理解すべきですけれど、イメージとしてこういうことがおきると私は想像します。

 今小学校一年生の子が六年生になったとき、クラスに一人か二人、癌で入院する人が出る。夏休みをこえたらもう一人入院した。

 もう十分でしょう? どんな学校の怪談より怖いでしょう? この時の学校はおそらくパニックになります。すべての子どもは「次は自分かもしれない」と思ってしまいます。

 学校・地域・家族が一緒になって除染活動や被曝した食物から逃げる行動をできるだけやり続けて、それでも上記の怪談が発生する場合と、「大丈夫だから気にするな」と言われて特別に何もしないで怪談が発生するのと、どちらがいいでしょう? 私は、やるだけやった方が、ずっといいと思います。やらなかったら、きっと、先生や両親は「恨まれ憎まれ蔑まれ」ることになるでしょう。

 10月6日、須賀川市農協広報担当者と会いました。500万円を投じてドイツ製の線量測定器を注文していたのがやっと到着したとのこと。作業の実際は、1kgあたりのベクレルを測るのに400~500gの試料を用意し、フル回転でも一日に10検体の測定が限界だそうです。何十何百とある野菜や穀物を店頭販売形態で一籠ずつ測るなんていうのは夢物語。実際には農協に持ち込むときにサンプルを測るのが精いっぱいでしょう。すでによく知られていることですが、広い畑や田圃の全体が同じ濃度であることなどあるわけがなく、測らないよりまし、というレベルとしか言いようがありません。

 市でも3台、同様の機械を入手したらしいのですが、この測定速度では、まだまだ消費者重視でなく、生産者重視ということになるでしょう。せめて、政府のいう暫定基準値以下なら販売可能というような乱暴な売り方をせず、独自の基準、できれば1kgあたり20ベクレル以下をもって販売可として欲しい、測っていないものについては「測っていない」と表示して欲しい、高かったら乳幼児や小学生には食べさせてはいけないとことわって欲しい、と強くお願いしました。担当者自身は私の話を理解してくださったと思いますが、実際にはどうなんでしょう?

 10月7日の弊社の高圧洗浄機による除染作業を、市長のご母堂とそのご友人計5名が見学していかれました。実際の作業をつぶさにご覧になり、大変興奮しておいででした(笑)。何とか市の方針が今後弱者保護の方向へ変更していく、そのきっかけになっていただくことを願います。

 10月10日、政府が1ミリシーベルト/年以上の地域を国費で除染する旨発表しました。須賀川市は、除染作業を市町村で行う地域に入りますから、たとえ未来にいくばくかの費用が国庫から戻ってくるにせよ、やっぱりまずは自腹ではじめなければいけません。その先陣を切った弊社としては、いくら高圧洗浄機を使用しても、ゼロにすることはできないし、自分の敷地がたとえきれいになっても時間が経てばまたまわりから押し寄せてくるし(笑)、要するに今後、定期的に、何度も何度も、おそらく「いつまでも」除染を続けていかなければなりません。

 業務で社内の除染ができても、社員の家は? その前に、会社のまわりは? 除染といってもその範囲は膨大すぎて、気が遠くなっていきます。せめて、一回やればそこはもう大丈夫、という作業ならやりがいも見いだせるのですが、やってもまた時間が経つと線量が高くなるのではイタチごっこです。雪が降る前に全敷地を一回はスクロールすべく、もう一台、高圧洗浄機を購入しました。

|

2011年9月13日 (火)

『電材流通新聞』にインタビューが掲載されました

20110908 2011年9月8日、一番発行部数の多い業界紙『電材流通新聞』に「社員一丸となって震災から早期復旧を遂げる」と題して、私がインタビューを受けました。

 えー、実は、インタビューを受けた、という形で、事実上は原稿を書いているのですが、まあ、そこはそれ、紙面全面を使わせていただいたということで、秘密にしておきましょうね(笑)。

 よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。写真も載っていますが、今回はそれなりに見られる顔です(笑)。A3サイズですので印刷する際はご注意ください。
http://www.246.ne.jp/~tk433/20110908.pdf

|

2011年9月12日 (月)

罹災から半年経過

 放射能に対する温度差の話は、当地、福島県須賀川市にもあるんですよ。というか、あるのだ、ということを実感しました。7月8日、ある集まりに出席した際、須賀川市長のご母堂・須賀川市社会福祉協議会会長・須賀川市農協広報担当者・福島民報編集局文化部長を相手取り、食事会から深夜の二次会まで、オンステージで放射能とどう生きるかについて講演しまくってしまいました(笑)。みなさん、あきれていらっしゃったかもね。

 というのも、ここ須賀川でさえ、社会の上の方にいらっしゃる方々が、いかに放射能問題を勉強していないか、いえ、そういう話を聞かないでいられるように努力していらっしゃるかがよくわかってしまったからなのです。それに気づき、愕然としたために、やおらスイッチが入ってしまったのでしょう(笑)。なんのためにスナックに行ったのやら。でも、これがきっかけになって、国や県が経済優先で命じてきたことを、弱者の立場優先に少しでも視線を移してくださるのなら、いくらでも話すし歌いますよ。

 そうして、ここで目に見える景色のことを考えました。たぶん、被災から復旧するにあたって持っていた「現実の作業の中で感じていたリアルさ」が、一応の目処がついた後に、今度は対放射能戦に突入してしまったせいなのでしょう、「目に見える景色はまったく昨年と変わらないのに、実は毒だらけ」である非日常の中で、揺さぶられています。

 知識や想像力を駆使しない限り、この町、この田畑、あの山、あの森の「どこがいけないのか」は絶対にわからないのです。絵に描いた餅、という言葉どおり、この餅は食えない(食ってはいけない)のですからね。対放射能戦を戦いながら、五感がすべて使えないという事実に、この身体がまるで潜水艦や宇宙船のように計器航行をしているような妙な感覚に陥っていきそうです(その感覚は決して第六感ではありません!)。もっとも、もし五感に感じるような放射能量の場所であったら、早晩、死にますが。

 8月11日、社内のすべての復旧工事が終了。震災からちょうど5ヶ月かかりました。

 6月に線量が高い土を掘ってドラム缶に詰め、穴を掘って埋めて、コンクリートで固めましたが、その次の除染場所として、屋根や壁やアスファルト舗装の部分を考えていました。そこで、8月19日、高圧洗浄機のデモをお願いしましたが、その担当者が「昨日まで南相馬市にいました」と言うので、「もしや児玉龍彦先生とご一緒でしたか」と聞いたら大当たり! 盛り上がって2時間くらい話し込み、児玉先生流儀の建物の除染方法をたっぷり教えていただきました。

 8月29日、弊社でついに高圧洗浄機を導入しました。現役消防団員20数名で組織した弊社消防団メンバーを4人ずつのチームに分け、弊社平面図をブロック分けして、定期的に除染を繰り返していきます。以前に土をとった場所は、時間が経ってから計測すると、また高くなってくる傾向があるので、もう、業務の一環としてやり続けるしかないですね。

Happy 須賀川市の、除染活動の動きの鈍さにいらいらして、弊社では土をとって埋めたぞ、等々の情報や、田中優・小出裕章・広瀬隆・児玉龍彦各氏の講演画像をWEBから拾ってDVDに焼いたもの、またはっぴーあいらんど新聞などを、市長宅をはじめとして市の有力者である知人友人に送り続けてきましたが、ようやく少しその影響が出始めました。

 8月29日付けで、市が「須賀川市放射性物質除染方針」を発表したからです。これを読むと、結構私が送った資料が効いたかも、という気になります(笑)。弊社のある岩瀬地区を優先して除染する、ということですから、弊社が行ってきたことのノウハウや、高圧洗浄機の使い方(まだ市は購入していませんから)等、伝えていこうと思っています。

 私が市長宅等へ送り続けたDVDやWEBコピーや手紙の類は、まちがいなく彼らに「勉強してしまう」状態を作っているはずです。なので、県や党の指示が生産者でなく消費者・弱者寄りに切り替わったその時、市のリーダーたちは「何が問題だから何から手をつけてどこまで行けばよいか」を知っている人物として振る舞うことが可能になるでしょう。まあ、そのくらいの手助けだろうなあ。

 何十冊もの放射能関連の書籍や山のようなweb情報を読み続けてきましたが、これなら「ウチのどんな社員でも最後まで読める」本がやっと見つかりましたので、9月8日、「須賀川市放射性物質除染方針」のプリントといっしょに全社員120名に配りました。

|

2011年6月30日 (木)

福島第一原発事故後の放射能とどう付き合うか

 6月23日、須賀川市役所岩瀬支所所長と、市健康福祉部こども課課長、同保育幼稚園係長の3名が来社しました。放射能除染のため、白江小学校及び、白江こども園の校庭表土剥離作業を行なうにあたり、弊社隣接の市の土地に作業後の土を埋めるので了承して欲しいとのことでした。

 もちろんOKですが、三点、文句を言いました(笑)。一点は、遅い! ということ。梅雨前にさっさとやらんかい(笑)。もう一点は、試験的にやってみたら放射線計測値が三分の一になったとおっしゃるので、そうじゃなくて、規定値以下になるまで削れよ!(笑)。最後の一点は、土を、穴を掘ってブルーシートを敷いてその上にかけて埋めるとおっしゃるので、いつか国からここへ低レベル放射性廃棄物を持ってきてくれと言われたとき、あるいは東電に費用請求を行うとき、きちんと現物を渡さなくてはならないのだから、容器に入れて、日付や放射線量を書いた紙も入れて埋めなきゃだめだ!(笑)

 24日、全社員123名を集め、ここ一ヶ月ばかりかけて読みに読んだ原発や放射能について、「福島第一原発事故後の放射能とどう付き合うか」と題し、70分間ノーマイクで講演しました。正しい知識を持ち、怖がらずしかし気を遣って、できるだけ身体を休めながら生きていかないといけないよ、という主旨です。

 その日に配った資料のうち、2点をお見せしましょう。

 その1:(結局見ずに大迫力でドカンとしゃべってしまいましたが)事前に作って配った梗概
http://www.246.ne.jp/~tk433/20110624.pdf

18june2001jgs その2:汚染地図
http://www.246.ne.jp/~tk433/20110618.jpg
※早川由紀夫 Yukio Hayakawa's Volcano Blog 「放射能地図(改訂版)2011/06/18(土) 18:00:49」 より

 2007年2月に社長になってから、平日単身赴任で須賀川市に住むようになって4年以上が経ちました。ジョン・ケージにならってマクロビオティックを2年ほど思いきりやっていた過去があることから、無農薬で化学調味料を使わない食事でないとイヤなので(笑)、赴任当初にそういう店を一所懸命探して、やっと見つけた「銀河のほとり」でずいぶんお世話になりました。ほどなく忙しくなって夜の食事を提供しなくなってしまってからはご無沙汰していましたが、「銀河のほとり」の有馬克子さんとは、マクロビオティックや芸術関連での共通の知人がいたりもして、ずっと連絡はとりあっていました。

 今や、「銀河のほとり」は、福島の子供達を救おうとする全国のNPOの基地になっています。被災後、私も何度かおじゃましましたし、家内もボランティアで炊事を手伝ったりしています。6月2日の郡山、9日の白河で私が聞いて大いに参考にした田中優氏の講演会も、そのNPOの力で行われました。

 須賀川には、そういう人たちが居ますし、全国から集まってきてもいます。JC(青年会議所)も、市役所も、子供達(と女性)を救うという大きなテーマを、経済活動より上位に掲げて、「連携して」行けないか、と考えますが、いかがでしょうか。もちろん、私に何かできることがあれば、喜んでお手伝いしていきます。

2011.09.12追記
 上記汚染地図の四訂版が2011年9月11日に発表されました。こちらをご利用ください。
 http://www.246.ne.jp/~tk433/20110912.jpg
 ※早川由紀夫 Yukio Hayakawa's Volcano Blog 「放射能汚染地図(四訂版)2011/09/11(日) 08:00:00」 より

2011.12.13追記
 上記汚染地図の五訂版が2011年12月9日に発表されました。こちらをご利用ください。
 http://www.246.ne.jp/~tk433/20111209.jpg
 ※早川由紀夫 Yukio Hayakawa's Volcano Blog 「放射能汚染地図(五訂版)2011/12/09(金) 08:53:13」 より

|

2011年6月29日 (水)

書いた詩が4回目の活字になりました

Yumihariduki『詩と思想』2011年7月号の110p(土曜美術社出版販売)に、私が書いた詩が掲載されました。
 これも、2009年・2010年の『詩と思想』の時と同様、投稿が採用されたというのではなくて、年間購読を申し込んだら編集部から依頼が来たから書いたのでした(笑)。やはり、添削等一切なし、書いたままです。

 活字第1作「居待月」、第2作「九夜月」、第3作「晦日月」に続いて、なんか、タイトルに「月」をつけないと書けないみたいですが、タイトルは書いてからつけてます(笑)。つーか、シリーズものなの、これ? さあ。テイストは、前3作ともまた違うつもりです。

 というより、東日本大震災被災者として書きましたので、機会詩(三井喬子氏にこの言葉を教えていただきました)です。

 ご興味ある方は以下のURLでPDFファイルをダウンロードして読んでください。
http://www.246.ne.jp/~tk433/yumihariduki.pdf

※とはいえ、やっぱり機会詩というのは恥ずかしいので(笑)、自注を書きました。もし上記の詩を読んでおもしろいと思ったら、下記も読んでみてください。
http://www.246.ne.jp/~tk433/yumiharidukijityu.pdf

|

2011年6月21日 (火)

罹災から3ヶ月

 4月1日には予定通り、昨年秋に内定を出していた高卒2名と大卒1名の入社式を挙行しました。融資の申し込みは更に増えて、現在5件です。

 4月5日、47歳になりました。なんともすさまじい誕生日だなあ、と思います。慣れというのも恐いもので、もはや、震災がなかったときに、どのような心持ちで暮らしていたのか、思い出すことができません。目先のこと、未来のこと、それらに向けた眼差しと態度は、いつのまにか人々を、自分のことばかり見ていることから解放し、人のために生きるよう動機づけているかのようです。

 ただ、さすがに、一ヶ月を超え、更に余震が続くと、ともすれば疲れから思考停止に陥り(この思考停止はエポケーではないですよ)、震度5くらいなら安全を確保する気にならないというところが困ったものです(笑)。実際、今や、福島明工社では、震度5弱では棚から物すら落ちません。

 神風が吹いているのか、須賀川市は原発から60kmの距離にあるのに、一応、飲み水の心配すらいらないくらい放射能問題が逸れてくれています。

 とりあえず設備的な復旧は終了しましたが、時間が経ってみると調子の悪い機械がいくつか出てきたので、それらの修理交換に700万円。上下水道の修復に400万円。地割れや建物の修復に500万円。建物が建っている土手の補強に1,400万円。どうやら3,000万円くらいの出費になりそうです。さて、補助金や保険でどこまで戻ってくるか(笑)。

 まあ、ほんとに事件はおきますよ。社員にも(やっぱり)いろいろ出てきました。

 ベテランのプレス工がはやる気持に負けて禁断の技を使ってしまい、左手を大けがで入院。プラスチック成形の課長が腹痛を我慢していたら実は腹膜炎でこれまた入院。生産技術の社員が対人障害の診断書を持ってきて2ヶ月休職。同じく生産技術の社員が急性胃腸炎で高熱を出して寝込んでしまい、とどめの一発が資材の社員の父親ですけど、未来を悲観して自殺してしまいました。

 須賀川市(人口8万人)が把握している損害状況は、市道被害494件、橋梁被害5件、通行止め48箇所、河川被害2件、マンホール被害558件、流水被害48件、雨水渠被害3件、ため池96件、水路244件、農道121箇所、農地238箇所。家屋被害は調査終了棟数13,658件(内訳は半壊951、大規模半壊280、全壊822、一部損壊11,605)。

 それでも、弊社の配線器具は被災地を含めめちゃくちゃ需要があって、4月からずっと夜9時まで残業でものづくりをしています。たぶん、これって、幸せなんですよね。

 残念ながら神風は長くは続かなかったようです。初期の水素爆発で北西へ流れた放射性物質は、3ヶ月を経て国道4号沿いに南下、郡山・須賀川・白河・那須・宇都宮、浅草をも舐めて静岡まで達しています。

 今や、政府発表の「安全」基準がいかに「経済重視」の「保身」から出たインチキだったかは少し勉強した日本国民には常識になりつつありますが、ともかく年間1ミリシーベルト以上の被爆の恐れがある場合には避難・除染が必要で、上記の地域は民間レベルの測定情報を見るだけでもはやその域に。更にホットスポットの存在が細かくわかってくる中では、大雑把なとらえ方ではとてもすまされない。もっと言えば、煮ても焼いても消えない放射性物質は、この先更に風向きによってどこへ溜りどこへ拡がるかわかったものではない。

 ともかく、在福島人としては、拡散を防止し、被爆量を最小化するために、集めて、とりあえず隠すことを行わねばならない。

 弊社も放射線測定器を購入しました。弊社のある岩瀬地区は須賀川市の中でもホットスポットにあたっていることが判明、42歳以上の義勇兵22名に装備を用意し、除染作戦を開始します。

 6月2日、郡山市で田中優氏の講演を聞きました。氏のパフォーマンスのあり方、イヤミも怒りも悲しみも臭わせずユーモアで未来に向けて「敵」と対峙する話術・発送術に感銘を受けました。9日、白河市の氏の講演にもう一度参加したので、ノートを完成させ、弊社除染部隊の出陣にあたってレクチャーをします。

 氏の述べた数々の話題の中でも、除染・避難はいつからはじめても効果がある、というトピックには驚きとともに感激しました。被爆量は足し算ですから、水素爆発から3ヶ月後に避難しようと1年後に避難しようと、直後に避難したのの半分くらいは十分に効果があることになるという、あの話です。

 避難は用心、と言い換えるしかないのが残念ですが、内部被爆を抑えるために、できるだけのことはしようと、また、それを政府の発表・県のお達しの内容に構わず、年間1ミリシーベルト以上は「危険」と、ただそれだけを(これは法令遵守でもありますし)きちんと守れるように、行動し、また社員やこの地の人々に知らせていくつもりです。その輪の中には私の一つ年上の市長ももちろん入っています(笑)。

 放射性物質を体内に取り込んでもそれを排出できる、あるいはそれに傷つけられた遺伝子を回復させられる「免疫」力を高めて、20年経ってもこうしてメールが書ける仲でいられるようにしなくちゃね。それにはいい気分で笑って生きるのが一番。

 さて、そう言っておきながら、6月4日(土)あたりから発熱、強烈な頭痛を伴ってぐんぐん上がり、ついに震災後初めて月・火と会社を休んで寝床でうなっておりました(笑)。なんでも風邪がはやっているとか? この時期になってこんな風邪をひくとは、やはり私も人の子だったか(笑)。まあ、原因は疲労以外のなにものでもありますまい。

 8日の午前3時、やたらにすっきりと目が覚め、どうやら風邪は通り過ぎていったらしく、気分良好で、あとは鼻声が徐々に元の美声に戻るのを待つだけでしょう(笑)。今日現在、社員曰く85%くらいの復旧率のようです(笑)。

 15日は株主総会でした。無事にすべて案どおりにいきまして、取締役にも再任され、直後の取締役会にてあらためて代表に推挙されましたので、あと2年は社長業が続きます。これでやっと2010年度が終了しました。いささかくたびれました。

2011611_6 いよいよ16日から除染作業開始です。まず、敷地内の平面図を用意し、地上50cmの高さで、建物のまわりを中心に何十箇所も放射線の測定を行います。次に高いところ(屋根や雨樋)に登って、そこの土や枯葉やゴミを真下に落とします。それから建物の壁に沿って、なにもかも削り、拾い、掬って、それらをドラム缶にいれて蓋をします。最後にドラム缶を、できるだけ深い穴を掘ってそこへ埋め、コンクリートを流し込んで終了、という手順です。ドラム缶は鉄ですが、コンクリートはアルカリ性なので、そうすれば錆びないというわけです。

 防護服に身を固めた18名で除染作業を行ってみたら、事前の測定では、ほとんどの箇所が1~2マイクロシーベルト毎時でしたが、雨樋から落ちた水が溜っているところではなんと40マイクロシーベルト毎時の部分を発見。驚きました。3時間の作業で、ドラム缶12本分の土や枯葉を集めました。そうしてどかしてみたら、1マイクロシーベルト毎時まで落ちました。確かに除染作業は効果があります。今後も継続して行います。

|

2011年4月 4日 (月)

復旧宣言

 わが福島明工社が製造販売している配線器具は、被災地の復旧・復興に必要なインフラの一部であるとの思いから、弊社の社会貢献は、震災後の注文にすべてお応えすることであると、社員に繰り返し伝えてきました。 

 おかげさまで弊社は、生産に関するすべての機械設備のチェックと調整・修理が終了しましたので、3月29日をもってお客様に対し、生産ラインが復旧した旨をお伝えすることができました。

 30日は、朝4時に東京を出発、8時前に須賀川に到着。昼休みの終わった後に全社員を食堂に集めて、災害見舞金を手渡しました。そのとき、話したのは、災害にあった人が陥る精神状態についてです。

 最初は茫然、次に異常にハイになり、やがてまわりに文句を言い出し、最後は自信をなくし疑心暗鬼に陥る。これが、心の動きであり、どんな人も程度の差こそあれ、起きることなので、他の人がもし口うるさくなったりしても、それは今、この状態に差し掛かったんだ、と見なして、くれぐれも「こんなときにその人間の本性が出る」なんて個人攻撃をするなと伝えました。

 災害見舞金は若手社員には強烈にウケたみたいでよかったです。融資の申し込みは年配の社員からさっそく一件、ありました。もう、なんと言えばいいのか……。

 会社では30代の社員の生き生き度が強烈に際だっていて、これはもしかすると、生まれてからいい思いをしてこなかった世代が、ともすれば戦争でも起きればいいのにとまで厭世的になっていたところに、本当の天変地異が来て、生き甲斐を感じ始めているからなのかもしれない、というようなことを考えています。弊社の仕事そのものが彼らの生きる糧になってくれていることが嬉しい反面、今後その場を続けていくことに対する責任の重さも感じています。

 被災地でご苦労されている(私たちももちろんそうなんですが)方々、亡くなった方も大勢いるのに、何を言っているのかと叱られそうですが、この時代、この場所でまだ生きている、ということは、生きて何かをしろ、と天の誰かに言われていることなのかもしれないとも思うのです。

|

2011年3月29日 (火)

罹災から復旧へ

 3月11日(金)午後の大地震、福島県須賀川市の会社から車で15分ほど離れた、須賀川インターそばの蕎麦屋で罹災しました。揺れが始まってからすぐ、店の外に出たのですが、目の前で家の屋根瓦が落ちていく有様を目にし、びっくり。揺れがおさまってから店の中に入ってみたら、ぐちゃぐちゃ。

 会社にとってかえしましたが、途中の道路は数ヶ所持ち上がっており、のろのろ運転。会社では機材が動いてしまい、断水状態。インターネット環境もだめ、電話も繋がらず、社員を一度中庭に集めて、怪我人がいないことを確認してから家に返し、社長室内で散乱した書類を片付けてから、車で町に出てみました。

 崩落した建物、散乱するガラス、でこぼこの道路。火事こそありませんでしたが惨憺たる有様で、東北自動車道も通行禁止になり、宿をさがしましたがどこも休業。覚悟を決めて、東京へ一般道で戻ることにしました。

 須賀川、白河と震度6強の地震に襲われたため、道路の状況が悪く、大渋滞というかのろのろ運転。すっかり日も暮れ、那須を越えるころには町が停電状態。そのまま小山市に入るまで、ずっと停電でした。こういってはなんですが、すばらしい星空が見えたのが唯一つの気休め。車の中ではずっとラジオをつけていて、刻一刻と拡がる被害状況に恐ろしさを感じつつ、結局夜が明けた頃に東京の北の果てにたどりつき、帰宅したのは午前8時頃。家内と再会を喜びあって、とりあえずコーヒーで一息つきました。14時間くらい運転していたことになります。

 12日(土)は一日寝ていて、13日(日)は父の家で対策を話し合い、14日(月)からは練馬区の本社に出社して、情報の収集に努めていました。

 福島の社員の中には家が半壊したものもおり、特に断水のため辛い状況のようです。工場の建物や敷地内での異常もいろいろわかってきました。

 しかし、わが福島明工社の社員の士気は高く、地震から一週間閉鎖していた工場に、その間、何人もが集結し、少しずつではありますが、復旧に向けて調査と準備を進行しておりました。22日からほとんどの社員が出勤し、ポリタンクに水を汲んで、製造を再開しております。

 私はその震災以降、ずっと東京本社でお客様に対応しながら、福島工場の復旧の指揮をとり、全国の社員向けメーリングリストや会社のホームページで復旧情報を更新したり、決算の準備をしたりしていました。

 そして、ついに 東北自動車道が開通しました。なので、25日の朝早く東京を出発し、銀行や役所をまわり、復旧工事の見積りをとって、給料日の全体集会をやって、一泊し、26日の午後に東京へ帰ってきました。

 実際に須賀川についてみたら、商店街が倒壊家屋撤去のために立ち入り禁止だったり、風評被害というか農作物の出荷停止で農家ががっくりきているとか(この地域の農作物は問題ないレベルなんですが)、ガソリンスタンドに向かって給油希望の車の列が2kmも3kmも並んでいるとか、まあ、いろいろでしたが、社員の士気は本当に高く、また明るかったのがとても嬉しかったです。

 津波とは関係ない土地でしたが、震度6強はさすがに会社の土地建物にも大きな爪痕を残していて、まずは下水道の再敷設と縦横に走る亀裂の穴埋めを業者を交えて指示し、崩れかけている土手の修復工事の見積りを発注するところから仕事が始まりました。

 山のようにお菓子を積んでいったのがバカ受けして、帰る頃にはいつもの空気に似た感じになったので、社長の仕事は安定を作ることだなあ、と自分で納得した次第です。30日からはまた、水・木・金と福島で過すことになります。

 28日の定時取締役会で、福島明工社全社員個人に宛てて、災害見舞金を現金で用意し、私が持っていくことが決まりました。他に、4月の定期昇給の決定、また、家屋に損害があり緊急にまとまったお金が欲しい社員に対しての会社としての貸し付けも。25日はお菓子をもってのサンタクロースでしたが、30日はお金をかついでの石川五右衛門です(笑)。

 被災者になってみての実感は、この2週間ばかりよくやってきたなあ、という感慨の他には、底なしの疲労感ばかりで(笑)、一昨日だったか、家内と、「地震の後、まだ一度も泣いてないなあ」と話したところでした。昨日、ゴッドハンドの異名を持つ南青山のカリスマ整体師に一ヶ月ぶりの予約でかかってきましたが、どこをどうしたらこんなにストレスがたまるんだ、といわれるくらい、身体ががちがちになっていて、ずいぶん苦労してました(笑)。

|

2011年1月20日 (木)

続々・『電材流通新聞』に原稿を書きました

 2011年正月、一番発行部数の多い業界紙『電材流通新聞』の「年頭所感」として、業界トップが挨拶文を寄せた中、弊社では、私がその任に着き、ものづくりの正道を行くぞ、という覚悟をこめて、文章を書きました。
 よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。写真も載っていますがまっ黒です(笑)。
http://www.246.ne.jp/~tk433/20110115.pdf

|

2010年12月21日 (火)

福島明工社製品が「須賀川市工業製品」に認定されました

20101215
 福島明工社製の明工社ブランド製品「19インチラック用ブレーカ搭載形200V接地コンセント」が、2010年12月15日、福島明工社の地元福島県須賀川市による第1回目の「須賀川市工業製品認定制度」で15社24製品の中に選ばれました。

 2009年6月に橋本克也市長の企業訪問を受け、8月に同製品をもって福島民報の「わが社の主力製品」コーナーに掲載され、それから1年4ヶ月。この製品はちょうど私が福島明工社社長として着任した2007年2月以降に開発が始まったので、どうにも感慨深いものがあります。

 また、認定証交付に伴い、市のWEBサイトはもちろん、福島民報でもコラムや記事にしていただきました。以下に一挙大公開します。とくとご覧あれ。

※ちなみに認定証交付式の記念写真では橋本市長の真後ろに私が立っています(笑)。

市長企業訪問(株式会社福島明工社) 2009年6月26日
http://gyousei1.city.sukagawa.fukushima.jp/cb/blog/photo/entry-1906.html

福島民報「わが社の主力製品」 2009年8月8日
http://www.246.ne.jp/~tk433/20090808.pdf

福島明工社製「19インチラック用ブレーカ搭載形200V接地コンセント」
http://www.meiko-g.co.jp/product/machinery/200v_outlet/index.html

須賀川市工業製品認定制度
http://gyousei1.city.sukagawa.fukushima.jp/cb/hpc/Category-494003.html

須賀川市工業製品認定証交付式 2010年12月15日
http://gyousei1.city.sukagawa.fukushima.jp/cb/blog/photo/entry-2756.html
http://gyousei1.city.sukagawa.fukushima.jp/cb/hpc/Article-494003-5915.html

須賀川市工業製品認定一覧
http://gyousei1.city.sukagawa.fukushima.jp/cb/hpc/cbServlet?FRID=fileDownload&id=5915&index=1

須賀川市工業製品認定証
http://www.246.ne.jp/~tk433/20101215.jpg

福島民報コラム「あぶくま抄」 2010年12月17日
http://www.246.ne.jp/~tk433/20101217.pdf

福島民報記事「須賀川の優れた工業製品15社の24品認定」 2010年12月18日
http://www.246.ne.jp/~tk433/20101218.pdf

|

2010年11月17日 (水)

続・『電材流通新聞』に原稿を書きました

 11月11日は「配線器具の日」。平成11年(1999年)に日本配線器具工業会がそう定めました。2010年のこの日発行の、一番発行部数の多い業界紙『電材流通新聞』の「配線器具の日」特集のために、工業会メンバー各社の代表が原稿を寄せました。
 弊社では、私がその任に着き、昨年に引き続き、現在福島で行っている教育を中心にした弊社の姿勢をうったえる文章を書きました。
 よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。写真も載っていますがまっ黒です(笑)。
http://www.246.ne.jp/~tk433/20101111.pdf

|

2010年8月27日 (金)

久しぶりに人前で詩を朗読します・其ノ肆

「目から耳へ」其ノ肆

ピアノの朗読 + 詩の演奏
poetry recital / music reading

後藤國彦
川村龍俊

http://homepage2.nifty.com/tatsutoshi-kawamura/20101023.html

日時:2010年10月23日(土曜日)午後5時半開場

場所:門仲天井ホール
   東京都江東区門前仲町1-20-3-8F  TEL. 03-3641-8275
   東京メトロ東西線「門前仲町」駅3番出口から徒歩3分
   都営大江戸線「門前仲町」駅6番出口から徒歩1分
   http://www5f.biglobe.ne.jp/monten/

入場無料(投げ銭制)
全自由席(先着順)
予約:不要

主催:Music in Motion(後藤)お問い合わせはこちらまで
   tel:046-871-3835 email mkgoto@wing.ocn.ne.jp

|

2010年6月30日 (水)

書いた詩が3回目の活字になりました

Misokaduki  『詩と思想』2010年7月号の111p(土曜美術社出版販売)に、私が書いた詩が掲載されました。
 これも、2009年7月の『詩と思想』の時と同様、投稿が採用されたというのではなくて、年間購読を申し込んだら編集部から依頼が来たから書いたのでした(笑)。やはり、添削等一切なし、書いたままです。

 活字第1作「居待月」、第2作「九夜月」に続いて、なんか、タイトルに「月」をつけないと書けないみたいですが、タイトルは書いてからつけてます(笑)。つーか、シリーズものなの、これ? さあ。テイストは、前2作ともまた違うつもりです。

 ご興味ある方は以下のURLでPDFファイルをダウンロードして読んでください。
http://www.246.ne.jp/~tk433/misokaduki.pdf

|

市長企業訪問(株式会社福島明工社)

20090626_3 今頃気がついたのですが、2009年6月26日(ちょうど1年前!)に、橋本克也市長(福島県須賀川市)が弊社を訪れ、社長室で当初の予定時間を20分もオーバーして話し込んでくださったときの様子が、須賀川市のホームページに掲載されていましたので、ご紹介します。
 私の左手の後ろにあるのはCDラック(笑)、市長の後ろに展開するのは壁一面の本棚(詩集ばっかし)。
http://gyousei1.city.sukagawa.fukushima.jp/cb/blog/photo/entry-1906.html

市長企業訪問(株式会社福島明工社)
 須賀川市では、市内企業(製造業)に対する産業支援の充実を図るため、市長による主要企業訪問を実施しています。
 6月26日は、株式会社福島明工社(大久保)を訪問し、川村代表取締役社長から企業概要について説明をいただき、情報交換を行いました。
 同社工場は、昭和44年に操業を開始しています。主力製品として、設備用・病院用・家庭用等の配線器具の製造を行っています。日本で初めて本格的な医用コンセントを販売するなど、伝統で培ってきた技術力と社会の要求に応えた品質管理を徹底重視していることなど、社内における取組みについて紹介いただきました。
(担当:商工観光課)

|

2010年3月23日 (火)

書いた詩が2回目の活字(?)になりました

Sayoduki_3 詩人支倉隆子氏の個人詩誌『西へ。』13号(2010年3月発行。ちなみに、同誌は10号まで『南へ。』という題名でした)に、私が書いた詩が掲載されました。

 これは、支倉氏から「ケージ論でも何でもいいから書いて」と頼まれたとき、やっぱり詩に挑戦してみようと思いたって挑戦してみたものです。広瀬大志氏とのメール談義で、「川村さんは長編詩が書けるかも」と言われたこともありまして(笑)。依頼原稿ですから提出すれば絶対掲載されることが決まっていて、それも元原稿のまま何もいじられないで掲載されることも知っていたので、こういう機会をとらえて詩を書いてみるというのは、ずるい(?)と言えばずるいのですが(笑)、まあ、そこはそれということで。

 生まれて初めて活字になった拙詩「居待月」と比べてみたらテイストが似てますけど(タイトルなんかもろに)、詩を書くにあたっての世界観はかなり違っていた(はず)と自分では思っています。

 ご興味ある方は以下のURLでPDFファイルをダウンロードして読んでください。
http://www.246.ne.jp/~tk433/sayoduki.pdf
※詩誌『西へ。』の体裁は、A4ヨコ両面印刷右辺ホチキス閉じというもので、私の詩は表紙の裏面にA4全面で掲載されましたので、掲載ページのレイアウトはこのPDFと同じです。

|

2009年11月17日 (火)

『電材流通新聞』に原稿を書きました

 11月11日は「配線器具の日」。平成11年(1999年)に日本配線器具工業会がそう定めてから、11年が経って、11が3並びになった2009年のこの日発行の、一番発行部数の多い業界紙『電材流通新聞』の「配線器具の日」特集のために、工業会メンバー各社の代表が原稿を寄せました。
 弊社では、私がその任に着き、現在福島で行っている品質向上を中心にした弊社の姿勢をうったえる文章を書きました。
 よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。写真も載っていますがまっ黒です(笑)。
http://www.246.ne.jp/~tk433/20091111.pdf

|

2009年11月 7日 (土)

『クラシック・スナイパー5』に原稿を書きました

20091105

 『クラシック・スナイパー5 特集 現代の名/迷演奏家』の20p(2009年11月1日発行、青弓社)に、私の書いた原稿が掲載されました。
 これは、同誌編集者鈴木淳史君からの「唐突ですが、「クラシック・スナイパー」誌の次号、特集「現代のめい演奏家」アンケートにご協力お願いできませんでしょうか。(1)現代のめい演奏家(名でも迷でも)5人の名前を挙げ、可能ならば(2)その人たちについて計400字でコメントをお寄せください」という依頼によるものでした。
 他ならぬ鈴木君のお願いとあって、ほいほい引き受けたのはいいのだけれど、なんで音楽家でも著述業でもない私に原稿を依頼してきたのかは謎です(笑)。
 ちなみに原稿料がでるとは思っていませんでしたが、掲載誌が3冊送られてきました。うーん、青弓社、太っ腹(笑)。
 本当は本を買っていただくのがいいのでしょうけれど(!)、私の文を読むために買っていただくにはあまりにも原稿量が少ないので(笑)、アンケートページ開始の主旨説明部分と、自分の原稿を切り張りして1枚にまとめてみました。ご興味ある方は以下のURLでPDFファイルをダウンロードして読んでください。
http://www.246.ne.jp/~tk433/20091107.pdf

|

2009年9月25日 (金)

続々・久しぶりに人前で詩を朗読します

続々「目から耳へ」

ピアノの朗読 + 詩の演奏
poetry recital / music reading

後藤國彦
川村龍俊

http://homepage2.nifty.com/tatsutoshi-kawamura/20091123.html

日時:2009年11月23日(月曜日・祝日)午後6時半開場

場所:名曲喫茶ヴィオロン
   東京都杉並区阿佐谷北2-9-5 TEL. 03-3336-6414
   JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩5分
   地図:http://www.h7.dion.ne.jp/~sozoro/violin.html

料金:1,000円 珈琲付

予約:不要

主催:Music in Motion(後藤)お問い合わせはこちらまで
   tel:046-871-3835 email mkgoto@wing.ocn.ne.jp

|

2009年8月11日 (火)

福島民報に写真入りで掲載されました

福島県で一番発行部数の多い新聞「福島民報」の取材を受け、「ふくしま産業最前線」欄の「わが社の主力商品」というコーナーに、写真入りで掲載されました。

2009年8月8日
わが社の主力商品「コンセントボックス200V仕様」
http://www.246.ne.jp/~tk433/20090808.pdf (597.9KB)

|

2009年7月29日 (水)

続・中学校で先生をしてきました

ブログを読んでくださった先生の推薦により(笑)、磐崎中学校で授業をしてまいりました。

福島県いわき市立磐崎中学校 職業講話学習
2009年6月25日10:35~12:25
対象:3学年全員(4クラス・143名)、校長以下教諭9名

http://www.246.ne.jp/~tk433/20090625.html

|

2009年7月 7日 (火)

書いた詩が初めて活字になりました

Imachizuki

『詩と思想』2009年7月号の128p(土曜美術社出版販売)に、私が書いた詩が掲載されました。
これは、生まれて初めて、書いた詩が活字になったという、私にとっての事件です(笑)。
が、投稿が採用されたというのではなくて、年間購読を申し込んだら編集部から依頼が来た、というのが真相なので、誰も添削も指導もしていません。そういう意味では本当に私が書いたままがそのまま載ってしまいました。
ご興味ある方は以下のURLでPDFファイルをダウンロードして読んでください。
http://www.246.ne.jp/~tk433/imachizuki.pdf


……ちなみに、高校・大学時代のバンド活動時の「歌詞」を除けば、発表を前提に詩を書いたのは上記以外には詩のボクシング第二回東京大会のときだけです。ただし、あくまでも「朗読原稿」という前提で書いていますので、文字で読まれることは想定していませんでした。でも、この際ですから、合わせてご覧ください(笑)。
http://www.246.ne.jp/~tk433/shiboku.html

|

2008年9月24日 (水)

続・久しぶりに人前で詩を朗読します

続「目から耳へ」

ピアノの朗読 + 詩の演奏
poetry recital / music reading

後藤國彦
川村龍俊

http://homepage2.nifty.com/tatsutoshi-kawamura/20081013.html

日時:2008年10月13日(月曜日・祝日)午後6時半開場

場所:名曲喫茶ヴィオロン
   東京都杉並区阿佐谷北2-9-5 TEL. 03-3336-6414
   JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩5分
   地図:http://www.h7.dion.ne.jp/~sozoro/violin.html

料金:1,000円 珈琲付

予約:不要

主催:Music in Motion(後藤)お問い合わせはこちらまで
   tel:046-871-3835 email mkgoto@wing.ocn.ne.jp

|

2008年8月 7日 (木)

福島放送で幹部社員研修の講師をしてきました

 2008年7月14日、民報サロンを読んでくださった福島放送(テレビ朝日系地方テレビ局)の吉田幹則社長からお声がけをいただきまして、福島放送の幹部社員30名(社長以下役員、部長以上全員)を対象に、幹部研修の講師をしてきました。

 4月にお話をいただいて、それからいろいろどうしようか考えていたのですが、ただ黙って話をしてもおもしろくなかろうということで、午後1時から5時まで4時間の枠をとっていただき、30名にそれぞれ違う詩を朗読してもらって講評する、ということにしました。

 6月半ばに、詩を30編選んで、研修案内のメール(10506 Bytes)と一緒に福島放送の総務部へ送りました。

 選んだ詩は、下記のとおりです(詩集初版発行年順)。

 陀田勘助「一情景 大震災のあと」 『陀田勘助詩集』国文社、1963
 阪田寛夫「葉月」 詩集『わたしの動物園』牧羊社、1965
 那珂太郎「死 あるひは詩」 詩集『音楽』思潮社、1965
 逸見猶吉「ベエリング」 『定本 逸見猶吉詩集』思潮社、1966
 宗左近「島をまわる海」 詩集『炎える母』彌生書房、1968
 北村太郎「問題は何ひとつ…」 詩集『冬の当直』思潮社、1972
 菅原克己「野」 『定本 菅原克己詩集』永井出版企画、1979
 松下育男「顔」 詩集『肴』紫陽社、1979
 阿部恭久「すこし、あきた」 詩集『田のもの』風媒社、1981
 藤井貞和「パンダ来るな」 詩集『ラブホテルの大家族』書肆山田、1981
 衣更着信「老人」 詩集『孤独な泳ぎ手』書肆季節社、1983
 山本哲也「草色のつなぎを着た男」 詩集『静かな家』七月堂、1985
 荒川洋治「城崎」 詩集『ヒロイン』花神社、1986
 高階杞一「明日は天気」 詩集『キリンの洗濯』あざみ書房、1989
 朝吹亮二「[よるべな]」 詩集『明るい箱』思潮社、1994
 大木実「いのちの火」 詩集『駅の夕日』思潮社、1994
 水野るり子「ものたちと」 詩集『はしばみ色の目のいもうと』現代企画室、1999
 江代充「岸の語り」 詩集『梢にて』書肆山田、2000
 池澤夏樹「波かぞえ」 詩集『この世界のぜんぶ』中央公論新社、2001
 茂本和宏「ゆっくりときれいな朝が……。」 詩集『冬のプール』思潮社、2002
 布村浩一「場所」 詩集『大きな窓』詩学社、2002
 大橋政人「あぶない、あぶない」 詩集『秋の授業』詩学社、2004
 辻征夫「棒論」 『辻征夫詩集 みずはつめたい』理論社、2004
 清水哲男「落日」 詩集『黄燐と投げ縄』書肆山田、2005
 井川博年「日暮れの町で」 詩集『幸福 KOFUKU』思潮社、2006
 浜田優「(幼稚園 PM4:32)」 詩集『ある街の観察』思潮社、2006
 岩佐なを「飯に箸を立てる」 詩集『しましまの』思潮社、2007
 金井雄二「ぼくのゆるやかな時」 詩集『にぎる。』思潮社、2007
 岸田将幸「初めての橋」 詩集『丘の陰に取り残された馬の群れ』ふらんす堂、2007
 須藤洋平「午睡の夢」 詩集『みちのく鉄砲店』青土社、2007

 当日は、開始に先立ってアンケート用紙(4931 Bytes)を配付してもらいました。

 これに10分間で記入してもらい、別室で控えている私のところへ届けられたときが研修の始まりでした。

 要するに、「社長命による宿題をしてこない人を選別する」のが目的だったわけです(笑)。案の定、30名中、9名が30回未満の音読回数でしたので、その9名には吉田社長と一緒に別室へ出てもらって、残った20名に向けて、こういう話(9432 Bytes)をしました(これは私が話した内容を、その場でメモした20名のノートを集めて、総務部長が再構成したものです)。

 で、それからいよいよ一人ずつの朗読の始まり。途中、別室に行っていた社長以下10名が合流し(社長から相当なお目玉をくったそうです)、30番目の朗読終了が、約束の5時でした。

|

中学校で先生をしてきました

 民報サロンを読んでくださったPTA役員の推薦により(笑)、岩瀬中学校で授業をしてまいりました。

 福島県須賀川市立岩瀬中学校 職業講話学習
 2008年6月25日13:35~15:25
 対象:1学年全員(2クラス・59名)、校長以下教諭6名

 岩瀬中学校 2008年6月25日 ホームページ

 岩瀬中学校 2008年6月26日 学校だより「友愛」No.38 198KB

 福島民報 2008年6月27日 郡山・県南地区版記事 2,057KB

|

福島民報に6回エッセイを書きました

 福島県で一番発行部数の多い新聞、福島民報の「民報サロン」欄に、乞われてエッセイを20日毎、全6回の約束で書かせていただきました。

 続き物ではなく、毎回読み切りがルールですが、お題は全く書き手の自由。幸い、ほぼ99%まで直しは入りませんでした(新聞コード上の表現・漢字の訂正程度)。

 執筆にあたっては、文化の6分野(演劇・詩・舞踊・映画・美術・音楽)を枕に据え、(社員も読むことを前提に)本題の話を仕事がらみにし、末尾に落ちをつけるという、落語の形式を借りました。

2008年3月6日掲載 1/6
「事件」は必ず起こる 175816 Bytes

2008年3月26日掲載 2/6
自分の「好み」を捨てる 243236 Bytes

2008年4月16日掲載 3/6
人が「資質」を教えてくれる 205342 Bytes

2008年5月6日掲載 4/6
クレームは「SOS」だ 222073 Bytes

2008年5月27日掲載 5/6
わかるのは「一瞬」 144425 Bytes

2008年6月17日掲載 6/6
「ちゃんと」やれ 135825 Bytes

|

2008年2月 4日 (月)

自腹を切って「旦那」の世界へ足を踏み入れます

「吉村津さんの地唄舞を観たい会」

  吉村津
  坂東冨起子
  吉澤昌江
  木田敦子

  http://homepage2.nifty.com/tatsutoshi-kawamura/20080309.html


日時:2008年3月9日(日)
   午後2時半開場 午後3時開演 (午後5時頃~ 食事会)

場所:豆富料理「笹乃雪」四階大広間 http://www.sasanoyuki.com/
   JR山手線「鶯谷北口」より徒歩2分。
   東京国立博物館より徒歩10分、タクシー3分。
   浅草雷門よりタクシー7分。

料金:完全予約制
   7,000円(食事付・飲み放題)
   1,500円(食事無し)

予約:メールで tatsutoshi.kawamura★nifty.ne.jp (★を@に変えてください)まで。
   2008年2月26日必着でお願いします。
   タイトルを「吉村津さんの地唄舞を観たい会予約申込」としてください。
   本文に、食事付/無しの別、人数、お名前を明記してください。

主宰:吉村津さんの地唄舞を観たい会 川村龍俊・幸子
  (お問い合わせも上記メールアドレス宛にお願いします)

|

2007年9月26日 (水)

久しぶりに人前で詩を朗読します

 「目から耳へ」

  ピアノの朗読 + 詩の演奏
  poetry recital / music reading

  後藤國彦
  川村龍俊

  http://homepage2.nifty.com/tatsutoshi-kawamura/20071103.html


日時:2007年11月3日(土曜日・祝日)午後2時開場

場所:中国茶芸館 Blue-T http://www.blue-t.jp/
   東京都世田谷区松原3-42-12 丸しフルーツビル3階 tel:03-3325-8981
   京王線・東急世田谷線 下高井戸駅北口目の前果物屋左階段上ル
   地図:http://www.blue-t.jp/access.html

料金:完全予約制
   1,500円(+終演後もし良かったら投げ銭)
   飲茶(手作り点心バイキングと高級中国茶4種)付

予約:中国茶芸館 Blue-T
   email blue.t@snow.ocn.ne.jp または tel:03-3325-8981 へ

主催:Music in Motion(後藤)お問い合わせはこちらまで
   tel:046-871-3835 email mkgoto@wing.ocn.ne.jp

|

2004年1月13日 (火)

年賀状終了

 この年末は、部屋に溜りまくった、約2年分の未整理本の、倉庫への移動で終わってしまった。整理前のリビングルームは別名マンハッタンと呼んでいたが、さすがに地表が顔を出した。読まなくちゃ、という本はまだ宅急便の最大段ボール3箱クラスの量が残っているが、ビルじゃなくて箱に入って置いてあるだけまだましである。この後は、CDをどうにかしなくてはならないのだが、高さ60センチの平積みタワーが10本増えていて、棚の収納規模を遥かに超えているのを前にして、途方にくれるばかりだ。倉庫へ持っていった本を売るために整理したいという希望もあるのだが、夫婦でやれる限界がみえているのでどうしたものかと思案中。もしどなたか手伝ってくれるのならば、どうぞメールください。飯おごります。場合によっては安く(もしくはただで)欲しいものがあったら譲ります(私がだめ、と言いいたいものを除く)。

 年始は、年賀状作り。私は絵はがきにするのが好きなので、夫婦ときゅいでいい場所でとった写真を全面展開にし、宛名面も英日両表記で住所氏名を明記し、そして印刷屋さんで印刷してもらって、というふうに長年やってきたのだけれど、もちろん今回もそうしたのだけれど、ここ2年ばかりは作っても宛名書きにとれる時間が少なすぎて、大量に印刷しておきながら少ししか出せなかったのだった。今年の年賀状こそはときばって住所録作成から始めたのがよくなかった。やってもやっても終わらない。とりあえず400名のキリで1月4日に郵便局へ持っていったが、まだまだぱらぱら見つかるので、第2弾はやっと1月11日にもう100名作って、もうこれでとりあえず終わりにしようと思ったのだった。まだまだ残っていますので、欲しい方がいらっしゃいましたら、住所・氏名・郵便番号をお知らせください。送ります。

 さて、そんなわけで7日もあった休みは作業に追われ、年始詣りに1月4日に等々力不動尊へ行ったのがやっとの外出。この9(金)・10(土)は会社の予算制度開始にあたっての強烈な会議でえんえん缶詰だったので、なんとか11(日)・12(月・祝)は「歩きたい」と念じていたのが通じたか、どちらもよく晴れて万歳。

 11(日)は年賀状100枚を郵便局に持っていきがてら、三軒茶屋から世田谷公園、自衛隊中央病院を抜けて青葉台から池尻大橋まで、ほとんどはじめての道をたどってみた。山手通りに「レストラン ムッシュ ヨースケ」を発見、入ってみたところ、なかなかのものだと内装を見て思ったのもつかの間、マニュアル攻勢のおねえちゃんたちの接客に異なものを感じて終わる。帰りは大橋から緑道をたどって松陰神社前まで帰り、ぎりぎりでNHK大河ドラマ「新撰組!」の第1回放送に間に合った。三谷幸喜脚本とあってはみないわけにいかないではないか。こんな龍馬があるものか、と思いながらも、石坂浩二にうっとり。桂小五郎がサンダーバードしているのが大笑いだったが、音楽もバリー・グレイなみのマーチで、さすがは服部隆之だと感心。大いに次回が楽しみだ。それにしても大河ドラマを見る気になったのは久しぶりだなあ(去年は『武蔵』の第1回を見て、あんまり演出のテンポがのろいのでついにその後は見なくなってしまった)。大好きな勝海舟ももちろん登場するはずだが、それにしても配役が野田秀樹だとは! もう、楽しみ楽しみ。

 12日(月・祝)は年賀状を出し終わった安心感ですっきり。昨日の「ムッシュ・ヨースケ」をネットで調べてみたら、私と同じことを思っている人がいたので驚いた。その彼が、私と同じく江ノ島の「Big Sur」を誉めているので、彼の舌を信じるのならそこまでうまいか、と思い、中目黒の「KARAKATTA」を攻撃することに。今度は弦巻から蛇崩川緑道を下馬へたどり、中目黒へ向かう。「KARAKATTA」のカレーはもちろん悪くはなかったけれど、でも、これで★★★★★ってのは採点甘いなあ。こうしてみると、どうしても、ピキヌーのすごさが思い出される。がつんと一発、そして「また食べたい」という単純なブラックカレー的魔力なしには「いい店」とは言わないのではないか。その後、川沿いに目黒まで出て、かつて横田善紀君と行った BLACK LION(以前入ったときは LITTLE EURO という名前だったが改名したそうだ)でギネスを1パイント。ここではスターチャンネルの録画(?)をプロジェクター上映していて、うっかり途中から終わりまで「ソードフィッシュ」を見てしまった。トラボルタ、憎い憎い。寒くなってきたので喫茶店を探すが、目黒にいい店見つからず、雅叙園へ行ってみたら、うわあ、ここは千と千尋の神隠しかあ……。ぬるいお湯、薄いハーブティー、もうたくさんだ。雨が降ってきたので、タクシーで帰る。疲れ果てて、映画を見直そうということになり、夫婦で仲良く買っておいたDVDから「昭和残侠伝 血染の唐獅子」を見る。池部良、最高!

|

2004年1月 2日 (金)

年賀状

 川村家では、今、仏教がはやっている。かつて私が買った坂口尚の「あっかんべえ一休」講談社漫画文庫上下がそのおおもとなのだが、幸子曰く、図書館に行っても、一休さんの本は、いいのがないのだそうだ。たとえば、包丁人味平の原作者であった牛次郎は今牛込覚心という坊さんになって願行寺という寺の住職をしているが、この牛込氏の書いた一休の本は、せっかく図書館で見つけた一休の本ではあるけれど、掃いて捨てたくなるほどよくない。

 ところで、元旦から年賀状の住所印刷の用意をし続けているのだが、まだ出せていない。我が家では年賀状はここへ印刷に出すため、一度に1000枚入荷してしまう。さすがにそこまでは出せないものの、日頃からデータをきちんとしていないので、あ、この人は引っ越しただの、あ、この人は喪中だだの、あ、この人は死んだだの、そうこうしているうちに、我が家に来る年賀状の第1弾が配達されてしまった。
 なんとか1月2日の、たとえ夜の11時過ぎであっても、本局から投函したいものだ。がんばるしかない。
 ……そういうわけで、かなり年賀状残っています。川村家の年賀状が1月5日を過ぎても届かなかった場合は、遠慮無くお申し付けください。すぐ送ります。

|

2004年1月 1日 (木)

猫も杓子も

 幸子が何かで読んだ話。
 「猫も杓子も」という言葉は「誰も彼も皆」という意味だけれど、そのもとの言葉は「子も子も」。
 神官の長は神主(かんぬし)で、その神主の下の位を禰宜(ねぎ)。そして禰宜の子孫を禰子(ねこ)という。
仏弟子は釈子(しゃくし)。釈迦の弟子、釈迦の教えを受け継ぐ者という意味。
 つまり、神様の子も、釈迦の弟子も、みんないっしょにと言うこと。日本では昔、宗教といえば神道と仏教の二系統だったので、禰子と釈子で日本国民すべてとなる。
 ふうむ。

|

2003年12月25日 (木)

アル中の定義

 先日、バーで隣り合わせた、精神科医を姉に持つ、某テレビ局のプロデューサー氏に教わった話。
 ※お酒を飲みたがる人は、医学的には「アル中」である。
 おおお。そうだったのか。ただし、医学的な「アル中」は以下の2通りに分けられる(2通りにしか分けられない)。
 その1:お酒が無くても平気な人
 その2:お酒が無いと怒る人
 一般的に「アル中」とは、もちろん上記の「その2」のことである。

|

2003年12月22日 (月)

作ってみました

 何を作ったのかと言うと、この「ココログ」なる掲示板というかなんというか、そういうものを作った、ということです。

 更新しないサイトとして有名になってしまった私のホームページですが、これで更新が頻繁に? ……さて。

|