2016年12月21日 (水)

福島民報にインタビューが掲載されました

20161213
 福島県で一番発行部数の多い新聞「福島民報」の取材を受け、「ふくしま経済」欄の「ふくしまをつくる トップインタビュー」というコーナーに、写真入りで掲載されました。

 カラー写真なんですが、あんまりきれいに写っていません(笑)。機嫌が悪かったわけではないのですが、疲れているんだろうなあ、と自分で思う感じの表情ですね。

2016年12月13日
ふくしまをつくる トップインタビュー「品質向上は職場から」
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20161213.pdf

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2016年11月17日 (木)

『電材流通新聞』に原稿を書きました・其ノ拾

20161110 11月11日は「配線器具の日」。平成11年(1999年)に日本配線器具工業会(当時/現在は一般社団法人日本配線システム工業会)がそう定めました。2016年11月、一番発行部数の多い業界紙『電材流通新聞』の「配線器具の日」特集のために、工業会メンバー各社の代表が原稿を寄せました。

 弊社では、私がその任に着き、2009年2010年2012年2014年2015年に引き続き、福島の社長室で最近考えていることを書きました。

 よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。宇宙人のように見える写真も載っています(笑)。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20161110.pdf

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2016年10月25日 (火)

『繁栄』にインタビューが掲載されました

201611
 三井生命保険株式会社企画部広報グループ発行の広報誌(でいいのかな?)『繁栄』2016年11月号/VOL.438(2016年10月20日発行)のコーナー「TOP INTERVIEW 生き残る経営 ~この時代を生き未来につなげるために~」に、「存在意義を全うするための老舗企業の挑戦」と題して3ページにわたるインタビューが掲載されました。また、同誌の表紙にも登場しています(笑)。表紙も本文もカラーです(笑)。

 三井生命と取引のある会社宛に配布されていると思われますので、一般の入手は難しいでしょう。というわけで例によって(笑)、PDFにしましたので、ご興味ある方は下記URLをクリックしてお読みくださいませ。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/201611.PDF

 なお、このインタビューは、2016年7月26日に、株式会社アウルのプロデューサーの東谷純子氏によって、2時間にわたり、東京都千代田区神田神保町の明工ビル会議室で行われました。

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2015年11月26日 (木)

『電材流通新聞』に原稿を書きました・其ノ玖

20151119


 11月11日は「配線器具の日」。平成11年(1999年)に日本配線器具工業会(当時/現在は一般社団法人日本配線システム工業会)がそう定めました。2015年11月、一番発行部数の多い業界紙『電材流通新聞』の「配線器具の日」特集のために、工業会メンバー各社の代表が原稿を寄せました。

 弊社では、私がその任に着き、2009年2010年2012年2014年に引き続き、福島の社長室で最近考えていることを書きました。

 よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。宇宙人のように見える写真も載っています(笑)。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20151119.pdf

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2015年11月12日 (木)

福島明工社製品が再び「須賀川市工業製品」に認定されました

20151024
 福島明工社製の明工社ブランド製品「病院用タップシリーズ」が、2015年10月24日、福島明工社の地元福島県須賀川市による2015年の「須賀川市工業製品認定制度」で4社5製品の中に選ばれました。

 2010年にこの制度が始まったとき、認定を受けてから丸5年。感慨深いものがあります。
 http://tatsutoshi.cocolog-nifty.com/cocolog/2010/12/post-803e.html

 また、認定証交付に伴い、市のWEBサイトはもちろん、地元メディアでも記事にしていただきました。以下に一挙大公開します。とくとご覧あれ。

福島明工社製「病院用タップシリーズ」
http://www.meiko-g.co.jp/product/hospital/iyo-tap.html

須賀川市工業製品認定制度
http://www.city.sukagawa.fukushima.jp/3680.htm

平成27年度須賀川市認定工業製品
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20151024a.pdf

「あぶくま時報」記事
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20150904.pdf

須賀川市工業製品認定証
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20151024b.pdf

須賀川市工業製品認定一覧
http://www.city.sukagawa.fukushima.jp/8227.htm
福島民報記事
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20151025.pdf

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2015年2月12日 (木)

続・高校で先生をしてきました

 須賀川公共職業安定所の推薦により(笑)、長沼高等学校で授業をしてまいりました。

 2012年に1・2学年全員を対象に行った時は地元企業の高校内企業説明会枠だったので、持ち時間が20分くらいだったような記憶がありますが、今回はたっぷり1時限50分。図書室の机を全部どかし、椅子をぐるっと中心を向くように輪に並べ、その中に立っての講義。

福島県立長沼高等学校 地元企業の高校内企業説明会
2015年1月22日14:15~15:05
対象:2学年全員(54名)、教諭1名

↓これは須賀川公共職業安定所からの依頼文書と、後日送られてきたお礼状です。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20150122.pdf

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2015年1月 7日 (水)

『電材流通新聞』に原稿を書きました・其ノ㭭

20150105


 2015年正月、一番発行部数の多い業界紙『電材流通新聞』の「年頭所感」として、業界トップが挨拶文を寄せた中、弊社では、私がその任に着き、被災者で被曝者だけど、福島明工社も新工場が落成して一段落ついたし、今年の2月で福島での社長業8年目だから、過去を担いで先を読むぞ、という覚悟をこめて、文章を書きました。
 よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。写真も載っていますがなんか変(笑)。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20150105.pdf

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2014年11月26日 (水)

『電材流通新聞』に原稿を書きました・其ノ漆

20141111


 11月11日は「配線器具の日」。平成11年(1999年)に日本配線器具工業会(当時/現在は一般社団法人日本配線システム工業会)がそう定めました。2014年11月、一番発行部数の多い業界紙『電材流通新聞』の「配線器具の日」特集のために、工業会メンバー各社の代表が原稿を寄せました。

 弊社では、私がその任に着き、2009年2010年2012年に引き続き、現在福島で行っている教育を中心にした弊社の姿勢をうったえる文章を書きました。

 ただね、私の肩書き、思い切りまちがわれてしまって(笑)。次の号で訂正文が掲載されましたが、いやはや。

 よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。宇宙人のように見える写真も載っています(笑)。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20141111.pdf

20140522_2

 なお、上記原稿に書いたとおり、株式会社福島明工社は、2012年12月にふくしま産業復興企業立地補助金の対象として認められたので、総工費+新しい機械購入に約6億円をかけ、新しく金型・成形工場を建設することにしました。翌2013年3月より設計に入り、9月に地鎮祭、そして2014年2月に上棟式、5月に竣工祭を行い、夏から操業しています。そう、社長の私としては、この間、無事故で全てが済むようにと祈ることが仕事でした。

 竣工祭の様子が掲載された新聞記事を下記URLでお読みいただけますので、よろしかったらどうぞ。私のスピーチが全文掲載されています。ただし、記者によるテープ起こしで、私は校正していませんから、ちょっと意味が通じないところもあります(笑)。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20140512.pdf
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20140522.pdf


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2014年1月15日 (水)

久しぶりに人前で詩を朗読します・其ノ陸

P3020921「目から耳へ」其ノ陸

ピアノの朗読 + 詩の演奏
poetry recital / music reading

後藤國彦+川村龍俊

詳細はこちら↓
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20140301.html

日時:2014年3月1日(土曜日)午後1時半開場

場所:カフェ・アンサンブル Cafe Ensemble
    東京都目黒区駒場2-17-8 ローズハイムまつながB1F tel 03-3467-6296
    井の頭線「駒場東大前駅」西口下車徒歩5分(358m)

入場無料(投げ銭制)・全自由席(先着順)・アフタードリンク付
完全予約制(定員35名・先着順) 当日券はありません!
定員になり次第申し込み受け付けを締め切らせていただきます。

主催:Music in Motion(後藤)ご予約はこちらまで
   tel/fax: 046-871-3835 email: mkgoto@wing.ocn.ne.jp

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2014年1月 8日 (水)

『電材流通新聞』に原稿を書きました・其ノ陸

20140105a


 2014年正月、一番発行部数の多い業界紙『電材流通新聞』の「年頭所感」として、業界トップが挨拶文を寄せた中、弊社では、私がその任に着き、被災者で被曝者だけど、今年の誕生日で知命だし、福島明工社も7月で創業45周年だから、ちゃんとやるよんという覚悟をこめて、文章を書きました。
 よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。写真も載っていますが誰だかわかりません(笑)。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20140105.pdf

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2013年8月29日 (木)

書いた詩が6回目の活字になりました

41lmncbad2bl_sl500_aa300_ 『詩と思想』2013年9月号の131p(土曜美術社出版販売)に、私が書いた詩が掲載されました。

 これも、2009年・2010年・2011年・2012年の『詩と思想』掲載時と同様、投稿が採用されたというのではなくて、年間購読を申し込んだら編集部から依頼が来たから書いたのでした(笑)。やはり、添削等一切なし、書いたままです。

 活字第1作「居待月」、第2作「九夜月」、第3作「晦日月」、第4作「弓張月」、第5作「三斎月」に続いて、なんか、タイトルに「月」をつけないと書けないみたいですが、タイトルは書いてからつけてます(笑)。つーか、シリーズものなの、これ? さあ。テイストは、前5作ともまた違うつもりです。

 ご興味ある方は以下のURLでPDFファイルをダウンロードして読んでください。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/enkousokugetu.pdf

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2013年6月18日 (火)

インターFMの番組で選曲しました

Logo 盟友の翻訳家、おおしまゆたかさんのご紹介で、ピーター・バラカン氏から、氏が執行役員でもあるFM放送局インターFMの番組「The Selector」に、選曲者としてお誘いいただきました。

 氏からのメールには「ぼくがインターFMで新しく作った番組の中に、毎週月曜日から木曜日の夜11時から放送される「ザ・セレクター」という1時間番組があります。この番組では、日替わりで様々な分野の方々に登場してもらって、それぞれの感性で1時間分の音楽を自由に選曲していただくというとても素朴な発想の番組です。」とありました。

 何度かやりとりを重ね、ついに放送が決定。2013年6月6日23時から1時間に渡ってオンエアされました。

 曲間にはおしゃべりは一切なく、延々と音楽が1時間流れました。ちなみに私は選曲しただけで、出演はしていません(笑)。

Theselector_blg150x150 以下、公式ブログに掲載された選曲リストです。

川村龍俊 Tatsutoshi Kawamura
1964年東京都生まれ。
小学生の頃からクラシックを中心にレコード・コレクターの道を進む。高校1年以降ジョン・ケージ・ファンに。映画製作、演劇・舞踏・バンド・合唱・オーケストラの指揮・前衛音楽の演奏・パフォーマンス等様々な舞台体験を重ね、書籍や現代美術のコレクターを経て近年は近現代詩のコレクションと朗読に夢中。1997年から東京で入場無料のイベント WINDS CAFE を毎月主宰。本業は福島県の配線器具メーカー社長。

■ 選曲テーマ/銀のロマンティック…わはは (c) 川原泉

■ 選曲リスト

M1:ジョージ・ガーシュウィン [1898-1937]
歌劇「ポーギーとベス」 [1935] より「いちご売りの女の歌~サマー・タイム」
編曲:ダグラス・ギャムレイ [1924-1998]
演奏:ラリー・アドラー(クロマチック・ハーモニカ)、ダグラス・ギャムレイ指揮、管弦楽団
録音:1978年6月

M2:エリック・サティ [1866-1925]
3つのジムノペディ [1888] より第1番
演奏:ラインベルト・デ・レーウ(ピアノ)
録音:1977年6月、アムステルダム、ワールセ教会

M3:ジョン・ケージ [1912-1992]
ノクターン [1947]
演奏:ポール・ズーコフスキー(ヴァイオリン)、高橋悠治(ピアノ)
録音:1975年4月8・9日、東京、ビクター・スタジオ

M4:クリストフ・ヴィリバルト・グルック [1714-1787]
歌劇「オーリードのイフィジェニー(アウリスのイフィゲニア)」 [1774] より序曲
編曲:リヒャルト・ワーグナー [1813-1883]
演奏:オットー・クレンペラー指揮、フィルハーモニア管弦楽団
録音:1960年9月29日、ロンドン、キングスウェイ・ホール

M5:一柳慧 [1933- ]
ピアノ・メディア [1972]
演奏:高橋アキ(ピアノ)
録音:1972年8月10日、東京、世田谷区民会館

M6:ウィリアム・ボルコム [1938- ]
3つの幽霊のラグ [1970] より「優雅な幽霊のラグ」
演奏:ジョン・マーフィー(ピアノ)
録音:1998年9-10月、ニューオーリンズ大学パフォーミング・アーツ・センター

M7:ジョン・ケージ [1912-1992]
クレド・イン・アス [1940]
演奏:バークハルト・ワイズマン(打楽器)、ミヒャエル・ディエツ(打楽器)、クリストフ・ケラー(ピアノ)、
ヨハン=ニコラウス・マチューズ(ターンテーブル、ラジオ)、ライナー・リーン(指揮)
録音:1971年6月、ケルン

M8:ヨハン・セバスティアン・バッハ [1685-1750]
G線上のアリア [編曲1871] (原曲:管弦楽組曲第3番BWV.1068第2楽章「アリア」)
編曲:アウグスト・ウィルヘルミ [1845-1908]
演奏:ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)、ジークフリート・シュルツ(ピアノ)
録音:1931年

 ……聞いてみたくなった方、こちらまでご連絡いただけましたら、善処します。

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『プレス技術』にインタビューが掲載されました

056415e50d96b33bf87f4f70b5938c89 2013年6月8日発売の日刊工業新聞刊『プレス技術』7月号の、コマツ産機株式会社が毎号持っている企業インタビューページ「コマツ コミュニケーション リポート」Vol.149に我が福島明工社が選ばれ、インタビューを受けました。

 「モノづくりにおける品質は社員の技術と気持ちに比例する。」と題した4ページ。現在の福島明工社の状況がひとつかみにわかる好レポートです。

 該当部分を抜き出しましたので、よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/VOL149.pdf

※ちなみに、このインタビューは2回目です。1回目は私がまだ社長になる前、副社長として毎週日帰りで福島に来ていた2006年に行われました。2007年に社長に就任してから会社はどうなっていったのか、その前段階で何を考えていたのかがわかる貴重な(?)記録です。こちらも該当部分を抜き出しましたので、よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/VOL77.pdf

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2013年1月16日 (水)

久しぶりに人前で詩を朗読します・其ノ伍

I「目から耳へ」其ノ伍

ピアノの朗読 + 詩の演奏
poetry recital / music reading

後藤國彦+川村龍俊

詳細はこちら↓
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20130302.html

日時:2013年3月2日(土曜日)午後2時開場

場所:カフェ・アンサンブル Cafe Ensemble
    東京都目黒区駒場2-17-8 ローズハイムまつながB1F tel 03-3467-6296
    井の頭線「駒場東大前駅」西口下車徒歩5分(358m)

入場無料(投げ銭制)・全自由席(先着順)・アフタードリンク付
完全予約制(定員35名・先着順) 当日券はありません!
定員になり次第申し込み受け付けを締め切らせていただきます。

主催:Music in Motion(後藤)ご予約はこちらまで
   tel/fax: 046-871-3835 email: mkgoto@wing.ocn.ne.jp

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2013年1月10日 (木)

詩と音楽のための雑誌 『洪水』に詩集『草虫観』の書評が掲載されました

Kz11 このたび、詩と音楽のための雑誌『洪水』編集の池田康氏から、同誌11号に書評を頼まれました。

 『洪水』9号には後藤國彦氏と私の往復書簡が、10号には絵本『きこえる?』の書評が掲載されておりますので、3号続いての登壇となりました(笑)。

 書評する本の指定はなかったので、いろいろ考えた末、入手してから読了するまで東日本大震災を挟んで丸2年かかった広瀬大志氏の詩集『草虫観』(2010年思潮社刊)を選びました。原稿を池田氏に送ったところ、「超剛速球の書評をありがとうございました。/思わず飛びのきました。」と歓迎されました(笑)。

 掲載誌は2013年1月1日付で発売されましたので、該当箇所をPDFファイルで紹介します。ご興味のある方はダウンロードして読んでみてください。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/kz11.pdf

 『洪水』11号、絶賛発売中です。どうぞお求めあれ。

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2012年11月14日 (水)

『電材流通新聞』に原稿を書きました・其ノ伍

20121111

 11月11日は「配線器具の日」。平成11年(1999年)に日本配線器具工業会(当時/現在は一般社団法人日本配線システム工業会)がそう定めました。2012年11月、一番発行部数の多い業界紙『電材流通新聞』の「配線器具の日」特集のために、工業会メンバー各社の代表が原稿を寄せました。

 弊社では、私がその任に着き、2009年2010年に引き続き、現在福島で行っている教育を中心にした弊社の姿勢をうったえる文章を書きました。

 よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。けっこうまともに見える写真も載っています(笑)。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20121108.pdf

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2012年10月10日 (水)

『ビオシティ』にインタビューが掲載されました

52_l 2012年9月27日発売の『環境から地域創造を考える総合雑誌 ビオシティ BIOCITY』No.52に、<震災とアート(5) - 東北の「いま」と、「これから」>と題して、美術評論家のクラリンこと倉林靖氏によるエッセイが掲載されました(pp.117-125)。このエッセイに、私へのインタビューをもとにした「放射線と生きる - 須賀川」という章があります。

 クラリンが『ビオシティ』誌に過去4回書いた「震災とアート」も事前に読んでいましたが、普段の難しい美術評論調とはちょっと書き方が違い、実際に何度も現場へ足を運んで、心が動いた(動かされた)対象を丁寧に取材するルポルタージュのような口当たりが新鮮で、好感を持ちました。

 インタビューは2012年8月20日、私の月曜日の職場からほど近いお茶の水の山の上ホテルのロビーで2時間半に渡って行われました。事前に震災後の記録を渡してあったこともあって、インタビューというよりは友人どうしのおしゃべりみたいな時間になりましたが、完成した原稿を拝読し、ああ、そういうところへはめ込みたかったのか、と納得した次第です。

 よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20121010.pdf (1.25MB A4縦9頁)

 『ビオシティ』No.52、絶賛発売中です。どうぞお求めあれ。

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2012年8月 2日 (木)

『詩と思想』にエッセイ「火星移民第一号としての覚悟と実践」が掲載されました

41bw9kcjhl_sl500_aa300_ 2012年8月1日に発売された『詩と思想』2012年8月号(土曜美術社出版販売)のpp.52-54に、私が書いたエッセイが掲載されました。

 この号は「特集 脱原発の詩と思想」と銘打たれ、佐川亜紀氏による、南相馬市の詩人若松丈太郎氏や「ヒロシマ・ナガサキを考える」発行人の石川逸子氏等へのインタビューが、巻頭に24頁に渡って掲載されています。これだけでも大変読み応えがあります。

 『詩と思想』の定期購読をはじめて4年目、更に私の所在地が福島県須賀川市になっているからでしょう、震災後まもなくお見舞の手紙を代表取締役高木祐子様よりいただきました。震災後に同誌に掲載された私の詩は2011年7月号2012年6月号の2篇です。

 今回のエッセイ「火星移民第一号としての覚悟と実践」は、5月締切で依頼を受け、遅れずに渡しておりましたが、校正時になって、まだ多少文章を追加できると連絡がありましたので、7月はじめ時点での須賀川市の最新情報を書き足しました。

 PDFファイルにしましたので、ご興味ある方は下記URLからダウンロードして読んでください。A4サイズ3頁です。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20120727.pdf


 なお、このエッセイは下記9編のブログ記事を下書きにして書いたものです。
 2011年 3月29日 (火) 罹災から復旧へ
 2011年 4月 4日 (月) 復旧宣言
 2011年 6月21日 (火) 罹災から3ヶ月
 2011年 6月30日 (木) 福島第一原発事故後の放射能とどう付き合うか
 2011年 9月12日 (月) 罹災から半年経過
 2011年10月13日 (木) 放射能に台風ときたもんだ
 2012年 2月16日 (木) 罹災から11ヶ月の対放射能戦の実際
 2012年 2月20日 (月) 対放射能戦、ちょっといい話
 2012年 3月12日 (月) 震災から1年経ちました

Hi 上記のブログ記事、震災後1年間の記録をリンク先の資料もすべて盛り込んで、「被災者手記」と題してまとめました。よろしかったらダウンロードしてご覧ください。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20110311-20120311.pdf (1.50MB A4縦32頁)

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2012年7月13日 (金)

詩と音楽のための雑誌 『洪水』に絵本『きこえる?』の書評が掲載されました

Kz10


 2012年3月15日に発売された、はいじまのぶひこ作・画の絵本『きこえる?』については、http://tatsutoshi.cocolog-nifty.com/cocolog/2012/03/post-ea2a.html に紹介文を書いてありますが、このたび、詩と音楽のための雑誌『洪水』編集の池田康氏から、同誌10号に書評を頼まれました。

 『洪水』9号には後藤國彦氏と私の往復書簡が掲載されておりますので、2号続いての登壇となりました(笑)。

 掲載誌は2012年7月1日付で発売されましたので、該当箇所をPDFファイルで紹介します。ご興味のある方はダウンロードして読んでみてください。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/kz10.pdf

 『洪水』10号、絶賛発売中です。どうぞお求めあれ。

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2012年5月30日 (水)

書いた詩が5回目の活字になりました

20120530 『詩と思想』2012年6月号の92p(土曜美術社出版販売)に、私が書いた詩が掲載されました。

 これも、2009年・2010年・2011年の『詩と思想』掲載時と同様、投稿が採用されたというのではなくて、年間購読を申し込んだら編集部から依頼が来たから書いたのでした(笑)。やはり、添削等一切なし、書いたままです。

 活字第1作「居待月」、第2作「九夜月」、第3作「晦日月」、第4作「弓張月」に続いて、なんか、タイトルに「月」をつけないと書けないみたいですが、タイトルは書いてからつけてます(笑)。つーか、シリーズものなの、これ? さあ。テイストは、前4作ともまた違うつもりです。

 というより、福島第一原発爆発事故による被曝者として書きました。野村尚志氏に読んでもらったら、「体制を風刺した「二条河原の落書」のような感じですね。」との感想をいただきました(笑)。

 ご興味ある方は以下のURLでPDFファイルをダウンロードして読んでください。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/sansaigatu.pdf

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2012年3月22日 (木)

高校で先生をしてきました

20120126 須賀川公共職業安定所の推薦により(笑)、長沼高等学校で授業をしてまいりました。

 2008年に岩瀬中学校で先生をやったときにいた子が、何十人もいたのだろうなあ。あ、またマイク使わないあの人だ、って言われてたんだろうなあ(笑)。まあ、いいじゃあないか。

福島県立長沼高等学校 地元企業の高校内企業説明会
2012年1月26日13:45~14:05
対象:普通科1・2学年全員(6クラス・188名)、校長以下教諭数名

↓これは長沼高校が地域に配っている新聞「長高だより」です。例によって写真はまっ黒(笑)。真ん中が私ですが、ぜんぜんわからん。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20120126.pdf

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2012年3月21日 (水)

はいじまのぶひこ『きこえる?』

20120321
きこえる?
はいじまのぶひこ作
福音館書店
定価1,470円(本体価格1,400円)
ページ数:36
サイズ:25X26cm
初版年月日:2012年03月15日
ISBNコード:978-4-8340-2709-9
amazon.co.jpで買えます


 私がコレクションしている美術家のはいじまのぶひこ([くさかんむり+配]島伸彦)君から、絵本を作ったと連絡をもらいました。


 発売と同時に入手。一読して、いや、ちょっと開いただけで、もう、まいりました。この本にある詩心と絵心こそ、芸術である、と断定します。だって、木の葉でも波でも、絵なのに、本当のそれが見えて聞こえるのだから。とんでもない絵本が出たものだ。たぶん、軽く50年は残るだろうな。

 「僕が以前からずっと気にかけ考えてきている「音」なるもの(と「絵」なるもの)が主題となっています。これはまったく無意識だったのですが、ジョン・ケージの仕事に対する自身の興味もにじみでているような気もします。ケージのメモリアル・イヤーである2012年にこの仕事を公にできるということに、なんだか感謝な気持ちです。」

 家内もものすごく気に入って、もうどうしようもない状態です。我が家は、もう「きこえる?」ごっこで塗りつぶされました(笑)。

 言葉のページまで、キャンバスに書いて写真撮ったんですね。色がみごと。「なみのおと」のところ、捲って濃い見開きになところなど、しばし茫然でした。もちろん、なまえをよぶとうさぎがでてくるところでは泣きました(笑)。

 そこで、蓜島君に感想を書きました。

はいじまのぶひこ様
川村龍俊@福島県須賀川市、です。「きこえる?」、買いました。これさー、はいじまくんの芸術作品として、頂点にきたのではないかな? 展示でなく、絵本であるところの意味ががんがん伝わります。マルチプル芸術。いや、もしかしたら、レコードなのかもよ。ありがとう!

 そうしたら、蓜島君から返事が来ました。

川村さま
ありがとうございます! 光栄です! そうです、レコードです。本の形を借りたレコードつくろうと思ってつくりました。ブルースの、ゴスペルの、グールド弾くところのバッハの、そしてもちろんケージがつくったようなレコード。僕はレコードは総合芸術なんだって、心から信じています。これを手に取った子どもたちが絵や音楽や本を愛す人間になってくれたらほんとうれしいです。ほんとそれだけです。これからもがんばっていきます~!
はいじま

●内容紹介(Amazonより)
 聞こえる? 葉っぱの揺れる音。川の流れる音。波の寄せる音に心臓の脈打つ音……。ページを開いて、そっと静かに耳をかたむければ、心の中に豊かな音の世界が広がります。
 そっと静かに、絵本の頁をひらいてみてください。風にざわめく木々の葉、夜空にぽつんとまたたくいちばん星、淡い光の中でそっとひらく花のつぼみ、遠くで寄せては返す海の波、などなど、わたしたちをとりまく風景の断片が、たんたんと描かれています。そのシンプルなシルエットをじっと見つめて耳をすますと……心のなかでいろんな音が鳴り響きはじめます。
 日々、様々な音に取り囲まれている私たちは、立ちどまって耳をすます機会はなかなかありません。この絵本はそんな忘れかけていた行為の大切さを、そして、静かにそっと耳をかたむけてみれば、どんなものにも、どんな場所にも、どんな時間にも、音はあるのだということを、気づかせてくれます。
想像力は、無限です。そして心の中に広がる音も、無限です。夜空に輝く無数の星のように、心の中にいくつもの音がきらめいてまたたき続けますように。

●著者について
はいじま のぶひこ([くさかんむり+配]島伸彦)
美術家。1970年東京都生まれ。1989年東京都立芸術高等学校卒業。1996年東京造形大学卒業。1997年同大学研究科修了。2002年~2003年文化庁芸術インターンシップ国内研修員。2009年より武蔵野美術大学、愛知県立芸術大学などで非常勤講師を勤める。1997年4月の初個展以降、東京を中心に個展、グループ展を多数開催。主な個展に2005年「windowpane - 窓硝子」、2008年「deep river」(共にギャルリー東京ユマニテ)、2010年「十二音」(ギャラリエ アンドウ)、「silence : two sculptures」(現代HEIGHTS GALLERY Den)など。主なグループ展に2002年「MOTアニュアル2002 Fiction? 絵画がひらく世界」(東京都現代美術館)、2010年「第三の絵画」(高島屋美術画廊)、2011年「発信//板橋//2011 けしきをいきる」(板橋区立美術館)など。パブリック・コレクションに東京オペラシティアートギャラリー、府中市美術館、愛媛県美術館。絵本の仕事は今作がはじめて。

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2012年3月14日 (水)

『熊本日日新聞』にインタビューが掲載されました

20120304 2012年3月4日、熊本県の地方紙『熊本日日新聞』に「放射能汚染 気の遠くなる闘い 福島の重い現実 胸に」と題して、私へのインタビューをもとにした記事が掲載されました。記者の方は、熊本出身で仙台在住の詩人、清岳こう氏から私のことを聞いたのだそうです。

 インタビューは、2012年2月15日、福島明工社の社長室で1時間半に渡って行われたのですが、それだけしゃべっても紙面に載るとこんな長さですね。当日、記者の方に「4行くらいしか載らないんでしょ」と言ったら「いや、それよりは長く」と返してくださいました(笑)。

 記者の方は、阿蘇くまもと空港から羽田へ飛び、新幹線で東京から郡山、そして東北本線で須賀川へ。弊社の取材後はまた新幹線で福島市へ移動し、詩人和合亮一氏へのインタビューへ。すごい強行軍ですね。

 でも、そこまで苦労(?)して書いた原稿なのに、弊社を福島「名」工社と誤植するのは、ちょっとなあ(笑)。ちなみに、同じ紙面の別ページに、カラー写真入りで和合氏へのインタビューも掲載されています。

 よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。あ、そうだ、この記事には私の顔写真はありません(笑)。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20120304.pdf

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2012年3月12日 (月)

震災から1年経ちました

 震災から1年経ちました。

 我が須賀川市においては、おそらく震災で壊れた建物・道路等の復旧は、少なくとも今後いつの段階で着手するかが決まったという意味において、だいたいの目処がたったように感じています。

 本来なら力強く復興を叫びたいところですが、放射能がある限りにおいて、そう簡単にはいかないのが寂しいですね。その寂しさを胸に抱いて、こどもたちのためにあえて笑ってみせるのが大人というものだと私は思います。

 市の英断によって、除染活動が具体化しはじめたのは、大変喜ばしいと思います。除染しても、はでなホットスポット以外にはそう簡単に目に見えるようには数値が下がらないと予想しますが、それでもくじけず(!)、えんえんと続けることにこそ、意味があります。すぐに効果が出ないことなど「想定内」であると腹をくくって、こつこつと、繰り返し続けていきましょう。

 また、こちらも市の英断によって、学校給食の安全化がはかられました。これだけでもパワーのいる仕事ですけれど、よく考えればこの仕事は業者が行うものであって、先生方や親御さんが汗を流すわけではありません。こうした直接こどもたちを保護教育する立場にいる人々が今後とりくまなければいけないのは、放射線の影響に関する勉強に加え、学校給食以外の飲食物からの内部被曝量をどのように下げるかという具体的な行動です。

 市は(社)須賀川医師会と共催で3月28日に佐藤和子氏による講演会「内部被曝と食生活」を文化センター大ホールで開催するそうですが、おそらく佐藤氏はかなり具体的なお話をなさるでしょう。もちろん私も聞きに行きますが、重要なのは、聞いた人がその具体的な話を実践すること、また、聞きに来られなかった方にもそのエッセンスを伝授することです。ただ話を聞くのではなく、市としてそこで話されたことを市民に実行してもらえるよう、学校等でもその話を繰り返したり、料理教室を開いたりして、続けていく手助けをすべきです。

 その延長で、今後の市に望む一番大事な対策は、「市内で販売される飲食物全商品の店頭でのベクレル表示」に他なりません。機材の有無を云々するべきときではありません。いくらお金を投じようとも、この課題に対して取り組まなければ、近未来(こどもが病気になった時点)において必ず悔やむときが来ます!

 こういうことを考え続けていたら、絶対に疲れますので(笑)、私も何とかその疲労から解放されたいといろいろ探し、実践してきましたが、今のところ、バランスセラピーUniv.の提唱するホメオストレッチが、「いの一番に有効」であると思っています(その後で、各種各人の好みに従って施術を受けるとよく効きます)。家内はこの施術資格をとるべくすでに丸一年勉強を続けていますが、人様に施せるようになるにはまだ半年以上必要とのこと。

 弊社では家内の先生方の協力を得て、実験的に12月末と2月上旬にボランティアで施術をお願いしましたが、何せ120人も社員がいるので、一人ずつきちんと1時間行おうとしたら膨大な時間がかかります。現在、校長と方法を模索していますが、おそらく年度かわって4月からは毎週二人、施術のできる先生をお招きして、全社員に繰り返し施していくことになるでしょう。

Mezameno


 このプリントは、一人でできるリラクセーションのやり方を、私が知る限り(笑)最もわかりやすく図解したものです。もちろん半年以上前から私も行っております。だまされたと思って挑戦してみてください。かなり身体が若返ります(笑)。

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2012年2月20日 (月)

対放射能戦、ちょっといい話

 2月15日、市議会議員に、2月10日の酒席の約束を果たすべく、市長宅はじめ多くの方々に送り続けてきた放射能関係の資料や手紙のダイジェスト版を作って、お渡ししました。

 2月17日の昼休み、前触れもなくその市議が弊社を訪れ、「資料、全部読みました。社長の思いにどこまで応えられるかわかりませんが、市議会としてはこのようなことを今後進めていきます」と、自らワープロで打った「今後市が取り組むべき事項の考え方」と題した紙を渡してくださいました!

 はや~、ありがたや。私は嬉しかったけれど、更に追い打ちをかけて(笑)、そこに書いてあることがらに、あと一つ、市内で販売する食物のすべてに、店頭におけるベクレル表示を義務づけるべきである、と加えて欲しいと返したのでした。

 失礼だったかもしれませんが(←そうだろうなあ)、子どもの内部被曝を避けるためには、食物を「基準値以内」で十把一絡げにまとめて平均化してはいけないし、むしろ、どの畑はNDだから問題はなく(今後手助けする必要はない)、どの畑ではこのくらい検出されたから市としてどのように協力すればいいかがはっきりわかるのだ、と続けて話しました。

 市議、難しい顔をなさってましたが、日本のすべての行政単位の中で最もきつい給食の基準値を発表した須賀川市なのですから、食物の店頭におけるベクレル表示も先陣を切って行って貰いたいと思います。

 でも、本来の市議会の役割は、市長や市政、そしてお金の使い道についてのチェッカーですから、その市議が、対放射能戦に関しては、市長と一緒に歩んでくださることがはっきり見えたので、ほっとしました。

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2012年2月16日 (木)

罹災から11ヶ月の対放射能戦の実際

 疎開も移住も、本当に難しいことが、この地に居るとよくわかります。だから、しゃかりきになって勉強して、その成果を社員にも市中にもばらまいて。私が旗を振り続けていくことで、社員はPTA等で放射能を話題にしても、後ろ盾として社長がいるから、気後れすることなく発言できるでしょう。

 取引先の社長さんたちに放射能の講義をしました。彼らは社員に私が作った資料をコピー。その社員さんから偶然聞いた話ですが、彼はそれをこんどは自分が住んでいる団地で配付したそうです。

 市が動かなくても、市民の側からは動きが始まる。その何かの支えになれたらと思っていますが、弊社社員の住むある地域では除染についての住民集会が開かれたそうです。ところが、除染してもそのときに出た廃棄物の始末の方法がわからないということで暗礁にのりあげたとか。今は、誰も何もしていないのですから、除染しようとしまいと下水にはばんばん放射能に汚された水が流れ続けています。いずれ、下水処理場を含めて対策は必ずとられます。でも、今はそうではない。だから、同じことだから、遠慮するこたあない、まず自分たちの子どもを守るために、がんがんやるべし、私がその集会にでていたらそう言ってゴーをかけるよ、ってアドバイスしました。

 弊社で高圧洗浄機を用いて定期的に除染を行っているメンバーは、地元消防団の団員です。市は、いずれ、市民に除染を手伝ってくれと言い出すはず。そのとき、その地域の消防団は真っ先に出動を要請されるでしょう。弊社社員は、すでに除染を行っているのですから、地元でもその知見を活かして、貢献できるでしょう。

 10月以降は、社内の除染と、市長をはじめ市の有力者達に宛てて、ネットからの映像や映画をDVDに落としたものを中心に、本、ネットや雑誌のプリントアウト、社内除染の報告等を、十数回にわたって送り続けるのの、2通りを実行しています。

 社内の除染は、6月と9月に土や泥や草木をドラム缶に詰めて穴を掘って埋めてコンクリートを流し込んだ後、建物と舗装された場所に対して高圧洗浄機2台を使用。具体的には24人の消防団員を6チームに分け、週に2回2時間ずつ、1回に2チームで、13のブロックに分けた箇所を順繰りに攻めています。

 作業のたびに雨具・ゴーグル・手袋・マスク・長靴を新調しますのでそれなりに経費もかさみましたが、地域の空間線量が0.9マイクロシーベルト/毎時なところ、社内敷地では0.3に落とすことができています。今後も継続します。

 また、上記物理的除染に加え、化学的除染にも挑戦し始めました。薬剤の選定にあたってはおよそ40はくだらないそれっぽいやつ(笑)を検討し、昔から使われていて人畜無害が証明されていて、かつ値段が高くないものを基準に選択し、二つに絞りました。

 事務所等、屋内の空間線量を少しでも下げるために、ファインミセルを使います。これはもともと消臭剤として売られていたもので、特徴としては空間の浮遊ゴミを捕まえて地面に落とします。セシウムは細かい塵や埃に付着しているので、この手が有効です。ただし、床掃除が必須です(笑)。

 使用方法は加湿器の水タンクに50倍に希釈して投入、それだけ。各部署で加湿器を使っていないところに計9台買い足して、都合20台近くが稼働中です。

 舗装されていない敷地内の場所(砂利引きの駐車場、建物まわりの土・雑草のある部分、樹木、敷地外側の土手、隣接地の山林等、かなりあります)には、グリーンAを使用。これは、農薬が問題になったゴルフ場等で土壌改良のために使用されてきた実績が30年以上ある、光合成細菌です。

Photo 空間には使用できませんが、ある程度の水分のある土壌では微生物が働いて、(今の科学ではきちんと説明できないようですが)放射性物質を取り込んでその能力を消化して無力化します(笑)。効果は絶大(らしい)で、線量が90%近く下がるはず。劣化ウラン弾の処理に使えるとの広島国際学院大学大学院佐々木健教授の論文が発表されています。

 撒布用に充電式10リットルタンクの農薬用撒布器を4台購入。消防団とは別に11人を選出し2チームに分け、週に1回1時間ずつ、一度に4名が、1時間で一人30リットル×4台を、細かくブロック分けした敷地内に撒いていきます。こちらは実験が終了、年明けから本格的に開始します。

 他、内部被曝に関しては、市長宅に情報を流し続けたのが効いたのか(笑)、12月21日に、市長が記者会見を行い、4項目の対放射能対策(須賀川市震災復興計画について、原子力災害対策直轄室の設置について、学校給食用食材の放射性物質測定と基準値設定について、米の放射性物質の緊急調査について)を発表しました。特に学校給食に関する基準と対策は全国一厳しいものになりました。万歳。

 正月に編成される市長直轄の原子力災害対策直轄室の設置については、果たしてどのくらいの覚悟と知識をもった人がその任にあたるのかが心配で、市役所の知人を通して、年明け早々、その方々5人まとめて面会をお願いしました。

 国や県、あるいは民主党や自民党や各省庁の言う方策や基準値から思いきり逸脱した「こどもたちのための」行動になるので、なまじっかな覚悟では担当者はノイローゼになるでしょうから、味方は市内にいるぞ、と立候補する決意もさることながら、環境省や文部科学省が発表した公的な除染の知識くらいしか持っていないようなら、勉強も手伝おうかと思っています。もちろん、そういう申し出をしたことは、市長宅にも手紙を書いてしらせました(笑)。

 内部被曝した身体を休めるためには、体内の放射性物質の排出と、免疫力の強化が必須です。プチ避難を行うと、累積で計算する放射線量が更に足されるのを少しでも防ぎますし、新たに入ってこないことで排出が進みます。一度薄い放射線を取り込んでいて、突然入ってこない期間があると、人によってはホルミシス効果が働いて、放射性物質に対する免疫ができる場合もあります。

 免疫力を高めるには、完全なリラックスが一番。脳幹を休ませることによってそれを実現するバランスセラピーという療法が30年前くらいから開発されていて、実は家内はこの施術者の資格をとるため、震災後はずっと学費をはらってBTU(バランスセラピーUniv.)東京本校で勉強を続けているのです。具体的な施術はホメオストレッチと呼ばれ、荒れたコミュニケーションの回復にも驚異的な効力を発揮します。12月28日には東京本校の先生方に弊社へ来ていただき、全社員120名に体感してもらいました。また、年明け2月8日・9日には、東京本校の鈴木校長に来ていただき、課長以上役職者13名に一人1時間ずつ、ホメオストレッチをお願いしました

 などなど、いろいろ続いておりますが、そろそろ須賀川では被災者という言い方は終わりにできるかな。被曝者だけでも十分重いタイトルだから、一つ返上したいですね(笑)。

 1月19日、下記のとおり、出かけてまいりました。当初1時間くらい、と言われていたのに、終わってみたら2時間(笑)。須賀川市原子力災害対策直轄室のみなさま、お忙しいところ、ありがとうございました。以下は、終わった後、思い出して書いてみた、当日私が話しまくった(笑)内容です。

2012年1月19日(木)13:30-15:30 於須賀川市体育館2階会議室

須賀川市原子力災害対策直轄室 室次長
須賀川市原子力災害対策直轄室 主任
須賀川市商工労政課主幹兼課長補佐・商業振興係長

株式会社福島明工社 代表取締役社長 川村龍俊
株式会社福島明工社 総務部部長
株式会社福島明工社 金型部部長(福島明工社消防団副団長)
株式会社福島明工社 生産部生産技術課課長(福島明工社消防団団長)

 須賀川市は、2011年12月21日、橋本克也市長の記者会見で、以下の4点を発表し、文書をインターネット上で公開した。

Ⅰ 須賀川市震災復興計画について
Ⅱ 原子力災害対策直轄室の設置について
Ⅲ 学校給食用食材の放射性物質測定と基準値設定について
Ⅳ 米の放射性物質の緊急調査について

 Ⅰにおいて、復興都市像を「共有、共感、共生へ ともに築く復興都市すかがわ ~今こそ須賀川の力を.. 未来 そして こどもたちのために~」と位置付けた。

 Ⅲにおいて、市の「教育委員会 学校教育課」が、学校給食の放射性物質含有基準値を世界一厳しい「測定器の検出限界値」に定め、食材は二日前に測定し、基準値を上まわる食材は使用しないことにした。

 Ⅱにおいて、市の人事課が、市長直轄の原子力災害対策直轄室を設置することを決め、同室は各部課の上位にあって「指示」する立場にあることを組織図に書いた。

 上記の大きなテーマは「数年後に子どもが放射線由来でがん等を発症する可能性を限りなく小さくするため、子どもの内部被曝を避ける努力を惜しまない」ことである。

 学校給食用食材の検査は業者が行う。しかし、「教育委員会 学校教育課」の名において子どもに内部被曝をさせないためにこの検査を行うのであるならば、「教育委員会 学校教育課」は、それのみならず、あらゆる角度で、子どもに内部被曝をさせないように働きかけなければ論理矛盾がおきる。

 12月21日までに校長を含む教職員がどのような指示または独自の考えにたって被曝について語り、行動していようと、その日以降、全教職員は、子ども・PTA・地域等々、関係するすべての人々に「子どもに内部被曝をさせない」ことをうったえなければならない。

 当然、給食のみならず、家庭を含め子どもが口にするすべての飲食物は限りなくND(未検出)でなくてはならない。
 子どもが呼吸によって吸い込まないよう、校庭での運動、水泳等の中止・禁止。
 校内のみならず、通学路、家庭等の放射線量の測定。
 線量の高い場所の調査。
 線量を限りなくNDにするための除染。
 上記すべてを教育し、守らせなくてはならない。

 その指示が「教育委員会 学校教育課」に出せるのは原子力災害対策直轄室である。

 つまり、子どもの未来を見据える須賀川市は、内部被曝も外部被曝もNDを目指すと世界に向けて発信したことになる。

 地産池消を奨励するために学校給食用食材を検査するのではなく、子どもが口にするすべての食材はNDであることを目指さなければならない。

 須賀川市産の農産物は、基本的にすべて検査し、その値を販売時に明記すべきである。

 NDやかなり低い田畑もあれば、かなり高い田畑もあるだろう。その両者に同様に配慮するのではなく、低い田畑のものはガンガン売り、高い田畑は補償を含めどのように線量を下げられるかを検討するべきである。

 市はブロックごとに除染を行うよう国から指示されているが、実際には、低レベル放射性廃棄物となる、取り除いた土の一時保管場所が決められず、ほとんど行われていない。この解決方法は住民のコンセンサスをとることではなく、それではいつまで経ってもきまらないので、市の土地を充てるべきである。

 遊休地が市にないのは当然なので、一時保管場所として公園をつぶすことを提案する。もちろん穴を掘って埋め、公園としては使用禁止とし、子どもの立ち入りも禁止すべきである。後で取り出して、いつかできるはずの最終処分場へ移動できるように、埋める際には容器に入れるべきである。

 具体的には、先に容器をブロック単位で配付し、そこに入れて、約束した日までは人の立ち入らない場所へ置いておき、その日に市が回収して、公園等の市の土地へ移送し、埋設すればよい。

 子どもの未来を見据える行動のすべては、当然大人の健康も守る。命や健康に関わる事態である以上、金は使うもので、今は借りてでも使うべきである。

以上

 やはり、市役所内の人事異動であるからには、みなさんのお気持ちは市民へのサービスというジェントルなところにありました。平時に於いては、それはとてもすばらしいことだと思います。ですが、今は緊急事態。近未来の子どもを守るためには、行政は、リーダーシップを発揮しなければなりません。

 がぜん、私の語気も態度も(笑)ヒートアップしまして、同席の弊社社員によれば、後半戦では聞いている方々の顔つきや目もとがキラキラしてきた、とか。本当だったらこんなに嬉しいことはないのですが。頼むよ、ほんと。

 2月2日、福島明工社の社長になって、満5年となりました。いえ、何かお祝いしてくださいと言いたいのではありませんからご心配なく(笑)。

 6年目になっても、まだまだ社長業は続きます。特に対放射能戦が始まってからは、会社の売上や利益は3番目。1番目は社員の健康、2番目は社員の生活と、緊急時モードに切り替えてこれまでやってきましたが、それでも、結果として、目標も昨対比もオーバーしております。おお、やはりちゃんとやればお金はついてくるなあ(笑)。

 2月7日、須賀川市は須賀川市除染計画《第1版》をネット上に公開しました。

 これを見ると、私がキーキー言ってきたことの、そうそう悪くないあたりにまとまっているので、ほっとしています。

 続けて2月10日、岩瀬商工会の新年研修会(飲み会)において、ついに震災後初めて市長と膝を交えて話す機会を持てました。懇親会に先立って、市長が35分スピーチをしたその内容は、8割が対放射能戦、それも子どもの未来を守ろう、という宣言だったので、我が意を得たりとにこにこしてしまいました(←単純)。

 スピーチの中で福島明工社の業務としての除染活動や私が資料を送った件についても触れてくださったので、飲み会ではいろんな社長さんが私のところへ話を聞きにきてくださいました(が、岩瀬地区の社長さんはほとんど60才以上の方々ばかりで、放射能に対する感覚が強烈に鈍く、興味は景気動向に限られていて、悪いお酒になりましたが)。

 市長と二人で酒を酌み交わしたときに、市長からは、私が送り続けた資料はお母様・奥様がきちんと目を通し、自分にもとても役に立ったこと、また、1月19日の須賀川市原子力災害対策直轄室訪問の件はきちんとその部署から市長に報告があり、とても感謝していると伝えられたこと、等を先に話してくださいました。

 二人して、子どもに内部被曝をさせないためにがんばろう的な盛り上がりを見せた結果、臨席の岩瀬支所長(2011年6月23日に私が文句を言った人達の一人)も「今になってみれば川村さんの言ったとおりになりました」と応援してくださるし、同席していた市議の方も自分にも資料を分けて欲しい、勉強したいから、と申し出てくださるし。

 まあ、とにかく、私の対放射能戦は、年が明けて、一段くらいは階段を上ったようです。

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2012年2月13日 (月)

詩と音楽のための雑誌 『洪水』に後藤國彦氏との往復書簡が掲載されました

Kz9 2007年、作曲家の後藤國彦氏に誘われて始めたイベント「目から耳へ ピアノの朗読・詩の演奏」は、年に一度、2010年までに4回(「目から耳へ」続「目から耳へ」続々「目から耳へ」「目から耳へ」其の肆)開催することができました。2011年も年初には秋の開催を視野に入れて打ち合わせを続けていました。

 しかし、私が福島県須賀川市で3月11日の震災被害に遭い、その後、復旧活動と、ほどなく対放射能戦に突入したことで、ほとんど自分の時間がとれなくなってしまい、その上夜は疲れ果てて早くに寝てしまっていて、とても準備ができないことから、2011年中の開催は事実上不可能となっていました。

 そこへ、続々「目から耳へ」にご来場くださった、詩人で「洪水企画」代表の池田康氏から、雑誌『洪水』9号で、私と後藤氏の往復書簡を載せたい旨、連絡をいただきました。池田氏は、続々「目から耳へ」にご来場いただき、感想をブログに書いてくださっています

 というわけで、2011年は、舞台でなく、書き言葉によるコラボレーションで、「目から耳へ」の番外編を行うことになりました。「目から耳へ」に準じるべく、後藤・川村両名の提案により、編集者池田康氏が関与の上、以下のルールを三者で策定し、それに厳格に基づく形で取り交わされました。なお、1通目は2011年9月15日に、最終16通目は同年10月31日に、池田氏宛にメールで送信されました。

・書簡は双方8通ずつ、計16通とする。
・先攻は、2011年9月11日の日本女子サッカー対中国戦に於ける両チームの得点合計の奇数偶数によって自動的に決定する。
・一行を全角30文字とし、各手紙の行数は往復書簡開始前に池田が恣意的に決定し、両者に表明した行数(13・13・15・15・20・20・18・18・12・21・18・10・8・11・38・35)を守る。
・各手紙には、かならず文学者か音楽家か思想家の名前(あるいは文学作品名、音楽作品名でもよいが、前の手紙で出てきてないものであること)を入れる。

 このたび、掲載誌が2012年1月1日付で発売されましたので、該当箇所をPDFファイルで紹介します。ご興味のある方はダウンロードして読んでみてください。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/kz9.pdf

 『洪水』9号、絶賛発売中です。どうぞお求めあれ。

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2012年1月13日 (金)

『電材流通新聞』に原稿を書きました・其ノ肆

20120110


 2012年正月、一番発行部数の多い業界紙『電材流通新聞』の「年頭所感」として、業界トップが挨拶文を寄せた中、弊社では、私がその任に着き、被災者で被曝者だけど、年男だし会社も創業80周年だから、ちゃんとやるよんという覚悟をこめて、文章を書きました。
 よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。写真も載っていますがまっ黒です(笑)。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20120110.pdf

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2011年10月13日 (木)

放射能に台風ときたもんだ

 9月12日、6月に会社敷地内に植えたひまわり(あまりきれいには咲きませんでした)2,000本を根っこから引っこ抜いて、ついでに草も刈って、集めてみたら7マイクロシーベルト/時でした。ドラム缶7本に詰めて、業者を呼んで穴を掘って、コンクリート漬けにしました。

 9月16日、高圧洗浄機による除染開始。主に建物の屋根・壁、そしてアスファルト舗装部をねらっていますが、除染前の計測では雨樋や側溝の線量(距離1cm)はまだまだ高く、9マイクロシーベルト/毎時の箇所を発見。除染後には約半分に(それでも半分、ですが)落ちて4~5マイクロシーベルト/毎時になりました。だいたい、高圧洗浄機による除染の効果は、数値を半分にすると考えればいいのかな、と思っています。

20110923_1_boat256 9月21日夜、台風15号上陸。須賀川市内はあちこちで冠水、倒壊の恐れがあるため須賀川アリーナ(屋内競技場)に移転していた市役所の一部も机の上まで水に浸かり、庁用車11台がおじゃん。仮設住宅も床上浸水で全国に報道されるありさま。私が常宿にしている北へ15kmの郡山市のホテルまでは、冠水箇所が多すぎて、車でたどり着けたのが奇跡のようでした。

 一夜明けてみれば同じく郡山市在住の社員2名が住宅の一階部分がキッチンの上までやられ、うち1名は水が退かずにボートで救助されたとのニュース(この写真は9月23日の福島民報一面トップを飾ったもので、その社員一家が写っています!)。もう一日おいてから、高圧洗浄機と発電機を社員4名に持たせて、洗浄の手伝いにいってもらいました。高圧洗浄機の本来の使い方ができてうれしいというかなんというか(笑)。

 低線量内部被曝(食物・水や空気から摂取し体内に放射線物質を取り込んでしまう)の恐ろしさがだんだん活字レベルではまっとうに流通するようになってきました。難しい話はもちろん理解すべきですけれど、イメージとしてこういうことがおきると私は想像します。

 今小学校一年生の子が六年生になったとき、クラスに一人か二人、癌で入院する人が出る。夏休みをこえたらもう一人入院した。

 もう十分でしょう? どんな学校の怪談より怖いでしょう? この時の学校はおそらくパニックになります。すべての子どもは「次は自分かもしれない」と思ってしまいます。

 学校・地域・家族が一緒になって除染活動や被曝した食物から逃げる行動をできるだけやり続けて、それでも上記の怪談が発生する場合と、「大丈夫だから気にするな」と言われて特別に何もしないで怪談が発生するのと、どちらがいいでしょう? 私は、やるだけやった方が、ずっといいと思います。やらなかったら、きっと、先生や両親は「恨まれ憎まれ蔑まれ」ることになるでしょう。

 10月6日、須賀川市農協広報担当者と会いました。500万円を投じてドイツ製の線量測定器を注文していたのがやっと到着したとのこと。作業の実際は、1kgあたりのベクレルを測るのに400~500gの試料を用意し、フル回転でも一日に10検体の測定が限界だそうです。何十何百とある野菜や穀物を店頭販売形態で一籠ずつ測るなんていうのは夢物語。実際には農協に持ち込むときにサンプルを測るのが精いっぱいでしょう。すでによく知られていることですが、広い畑や田圃の全体が同じ濃度であることなどあるわけがなく、測らないよりまし、というレベルとしか言いようがありません。

 市でも3台、同様の機械を入手したらしいのですが、この測定速度では、まだまだ消費者重視でなく、生産者重視ということになるでしょう。せめて、政府のいう暫定基準値以下なら販売可能というような乱暴な売り方をせず、独自の基準、できれば1kgあたり20ベクレル以下をもって販売可として欲しい、測っていないものについては「測っていない」と表示して欲しい、高かったら乳幼児や小学生には食べさせてはいけないとことわって欲しい、と強くお願いしました。担当者自身は私の話を理解してくださったと思いますが、実際にはどうなんでしょう?

 10月7日の弊社の高圧洗浄機による除染作業を、市長のご母堂とそのご友人計5名が見学していかれました。実際の作業をつぶさにご覧になり、大変興奮しておいででした(笑)。何とか市の方針が今後弱者保護の方向へ変更していく、そのきっかけになっていただくことを願います。

 10月10日、政府が1ミリシーベルト/年以上の地域を国費で除染する旨発表しました。須賀川市は、除染作業を市町村で行う地域に入りますから、たとえ未来にいくばくかの費用が国庫から戻ってくるにせよ、やっぱりまずは自腹ではじめなければいけません。その先陣を切った弊社としては、いくら高圧洗浄機を使用しても、ゼロにすることはできないし、自分の敷地がたとえきれいになっても時間が経てばまたまわりから押し寄せてくるし(笑)、要するに今後、定期的に、何度も何度も、おそらく「いつまでも」除染を続けていかなければなりません。

 業務で社内の除染ができても、社員の家は? その前に、会社のまわりは? 除染といってもその範囲は膨大すぎて、気が遠くなっていきます。せめて、一回やればそこはもう大丈夫、という作業ならやりがいも見いだせるのですが、やってもまた時間が経つと線量が高くなるのではイタチごっこです。雪が降る前に全敷地を一回はスクロールすべく、もう一台、高圧洗浄機を購入しました。

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2011年9月13日 (火)

『電材流通新聞』にインタビューが掲載されました

20110908 2011年9月8日、一番発行部数の多い業界紙『電材流通新聞』に「社員一丸となって震災から早期復旧を遂げる」と題して、私がインタビューを受けました。

 えー、実は、インタビューを受けた、という形で、事実上は原稿を書いているのですが、まあ、そこはそれ、紙面全面を使わせていただいたということで、秘密にしておきましょうね(笑)。

 よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。写真も載っていますが、今回はそれなりに見られる顔です(笑)。A3サイズですので印刷する際はご注意ください。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20110908.pdf

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2011年9月12日 (月)

罹災から半年経過

 放射能に対する温度差の話は、当地、福島県須賀川市にもあるんですよ。というか、あるのだ、ということを実感しました。7月8日、ある集まりに出席した際、須賀川市長のご母堂・須賀川市社会福祉協議会会長・須賀川市農協広報担当者・福島民報編集局文化部長を相手取り、食事会から深夜の二次会まで、オンステージで放射能とどう生きるかについて講演しまくってしまいました(笑)。みなさん、あきれていらっしゃったかもね。

 というのも、ここ須賀川でさえ、社会の上の方にいらっしゃる方々が、いかに放射能問題を勉強していないか、いえ、そういう話を聞かないでいられるように努力していらっしゃるかがよくわかってしまったからなのです。それに気づき、愕然としたために、やおらスイッチが入ってしまったのでしょう(笑)。なんのためにスナックに行ったのやら。でも、これがきっかけになって、国や県が経済優先で命じてきたことを、弱者の立場優先に少しでも視線を移してくださるのなら、いくらでも話すし歌いますよ。

 そうして、ここで目に見える景色のことを考えました。たぶん、被災から復旧するにあたって持っていた「現実の作業の中で感じていたリアルさ」が、一応の目処がついた後に、今度は対放射能戦に突入してしまったせいなのでしょう、「目に見える景色はまったく昨年と変わらないのに、実は毒だらけ」である非日常の中で、揺さぶられています。

 知識や想像力を駆使しない限り、この町、この田畑、あの山、あの森の「どこがいけないのか」は絶対にわからないのです。絵に描いた餅、という言葉どおり、この餅は食えない(食ってはいけない)のですからね。対放射能戦を戦いながら、五感がすべて使えないという事実に、この身体がまるで潜水艦や宇宙船のように計器航行をしているような妙な感覚に陥っていきそうです(その感覚は決して第六感ではありません!)。もっとも、もし五感に感じるような放射能量の場所であったら、早晩、死にますが。

 8月11日、社内のすべての復旧工事が終了。震災からちょうど5ヶ月かかりました。

 6月に線量が高い土を掘ってドラム缶に詰め、穴を掘って埋めて、コンクリートで固めましたが、その次の除染場所として、屋根や壁やアスファルト舗装の部分を考えていました。そこで、8月19日、高圧洗浄機のデモをお願いしましたが、その担当者が「昨日まで南相馬市にいました」と言うので、「もしや児玉龍彦先生とご一緒でしたか」と聞いたら大当たり! 盛り上がって2時間くらい話し込み、児玉先生流儀の建物の除染方法をたっぷり教えていただきました。

 8月29日、弊社でついに高圧洗浄機を導入しました。現役消防団員20数名で組織した弊社消防団メンバーを4人ずつのチームに分け、弊社平面図をブロック分けして、定期的に除染を繰り返していきます。以前に土をとった場所は、時間が経ってから計測すると、また高くなってくる傾向があるので、もう、業務の一環としてやり続けるしかないですね。

Happy 須賀川市の、除染活動の動きの鈍さにいらいらして、弊社では土をとって埋めたぞ、等々の情報や、田中優・小出裕章・広瀬隆・児玉龍彦各氏の講演画像をWEBから拾ってDVDに焼いたもの、またはっぴーあいらんど新聞などを、市長宅をはじめとして市の有力者である知人友人に送り続けてきましたが、ようやく少しその影響が出始めました。

 8月29日付けで、市が「須賀川市放射性物質除染方針」を発表したからです。これを読むと、結構私が送った資料が効いたかも、という気になります(笑)。弊社のある岩瀬地区を優先して除染する、ということですから、弊社が行ってきたことのノウハウや、高圧洗浄機の使い方(まだ市は購入していませんから)等、伝えていこうと思っています。

 私が市長宅等へ送り続けたDVDやWEBコピーや手紙の類は、まちがいなく彼らに「勉強してしまう」状態を作っているはずです。なので、県や党の指示が生産者でなく消費者・弱者寄りに切り替わったその時、市のリーダーたちは「何が問題だから何から手をつけてどこまで行けばよいか」を知っている人物として振る舞うことが可能になるでしょう。まあ、そのくらいの手助けだろうなあ。

 何十冊もの放射能関連の書籍や山のようなweb情報を読み続けてきましたが、これなら「ウチのどんな社員でも最後まで読める」本がやっと見つかりましたので、9月8日、「須賀川市放射性物質除染方針」のプリントといっしょに全社員120名に配りました。

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2011年6月30日 (木)

福島第一原発事故後の放射能とどう付き合うか

 6月23日、須賀川市役所岩瀬支所所長と、市健康福祉部こども課課長、同保育幼稚園係長の3名が来社しました。放射能除染のため、白江小学校及び、白江こども園の校庭表土剥離作業を行なうにあたり、弊社隣接の市の土地に作業後の土を埋めるので了承して欲しいとのことでした。

 もちろんOKですが、三点、文句を言いました(笑)。一点は、遅い! ということ。梅雨前にさっさとやらんかい(笑)。もう一点は、試験的にやってみたら放射線計測値が三分の一になったとおっしゃるので、そうじゃなくて、規定値以下になるまで削れよ!(笑)。最後の一点は、土を、穴を掘ってブルーシートを敷いてその上にかけて埋めるとおっしゃるので、いつか国からここへ低レベル放射性廃棄物を持ってきてくれと言われたとき、あるいは東電に費用請求を行うとき、きちんと現物を渡さなくてはならないのだから、容器に入れて、日付や放射線量を書いた紙も入れて埋めなきゃだめだ!(笑)

 24日、全社員123名を集め、ここ一ヶ月ばかりかけて読みに読んだ原発や放射能について、「福島第一原発事故後の放射能とどう付き合うか」と題し、70分間ノーマイクで講演しました。正しい知識を持ち、怖がらずしかし気を遣って、できるだけ身体を休めながら生きていかないといけないよ、という主旨です。

 その日に配った資料のうち、2点をお見せしましょう。

 その1:(結局見ずに大迫力でドカンとしゃべってしまいましたが)事前に作って配った梗概
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20110624.pdf

18june2001jgs その2:汚染地図
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20110618.jpg
※早川由紀夫 Yukio Hayakawa's Volcano Blog 「放射能地図(改訂版)2011/06/18(土) 18:00:49」 より

 2007年2月に社長になってから、平日単身赴任で須賀川市に住むようになって4年以上が経ちました。ジョン・ケージにならってマクロビオティックを2年ほど思いきりやっていた過去があることから、無農薬で化学調味料を使わない食事でないとイヤなので(笑)、赴任当初にそういう店を一所懸命探して、やっと見つけた「銀河のほとり」でずいぶんお世話になりました。ほどなく忙しくなって夜の食事を提供しなくなってしまってからはご無沙汰していましたが、「銀河のほとり」の有馬克子さんとは、マクロビオティックや芸術関連での共通の知人がいたりもして、ずっと連絡はとりあっていました。

 今や、「銀河のほとり」は、福島の子供達を救おうとする全国のNPOの基地になっています。被災後、私も何度かおじゃましましたし、家内もボランティアで炊事を手伝ったりしています。6月2日の郡山、9日の白河で私が聞いて大いに参考にした田中優氏の講演会も、そのNPOの力で行われました。

 須賀川には、そういう人たちが居ますし、全国から集まってきてもいます。JC(青年会議所)も、市役所も、子供達(と女性)を救うという大きなテーマを、経済活動より上位に掲げて、「連携して」行けないか、と考えますが、いかがでしょうか。もちろん、私に何かできることがあれば、喜んでお手伝いしていきます。

2011.09.12追記
 上記汚染地図の四訂版が2011年9月11日に発表されました。こちらをご利用ください。
 http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20110912.jpg
 ※早川由紀夫 Yukio Hayakawa's Volcano Blog 「放射能汚染地図(四訂版)2011/09/11(日) 08:00:00」 より

2011.12.13追記
 上記汚染地図の五訂版が2011年12月9日に発表されました。こちらをご利用ください。
 http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20111209.jpg
 ※早川由紀夫 Yukio Hayakawa's Volcano Blog 「放射能汚染地図(五訂版)2011/12/09(金) 08:53:13」 より

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2011年6月29日 (水)

書いた詩が4回目の活字になりました

Yumihariduki『詩と思想』2011年7月号の110p(土曜美術社出版販売)に、私が書いた詩が掲載されました。
 これも、2009年・2010年の『詩と思想』の時と同様、投稿が採用されたというのではなくて、年間購読を申し込んだら編集部から依頼が来たから書いたのでした(笑)。やはり、添削等一切なし、書いたままです。

 活字第1作「居待月」、第2作「九夜月」、第3作「晦日月」に続いて、なんか、タイトルに「月」をつけないと書けないみたいですが、タイトルは書いてからつけてます(笑)。つーか、シリーズものなの、これ? さあ。テイストは、前3作ともまた違うつもりです。

 というより、東日本大震災被災者として書きましたので、機会詩(三井喬子氏にこの言葉を教えていただきました)です。

 ご興味ある方は以下のURLでPDFファイルをダウンロードして読んでください。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/yumihariduki.pdf

※とはいえ、やっぱり機会詩というのは恥ずかしいので(笑)、自注を書きました。もし上記の詩を読んでおもしろいと思ったら、下記も読んでみてください。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/yumiharidukijityu.pdf

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2011年6月21日 (火)

罹災から3ヶ月

 4月1日には予定通り、昨年秋に内定を出していた高卒2名と大卒1名の入社式を挙行しました。融資の申し込みは更に増えて、現在5件です。

 4月5日、47歳になりました。なんともすさまじい誕生日だなあ、と思います。慣れというのも恐いもので、もはや、震災がなかったときに、どのような心持ちで暮らしていたのか、思い出すことができません。目先のこと、未来のこと、それらに向けた眼差しと態度は、いつのまにか人々を、自分のことばかり見ていることから解放し、人のために生きるよう動機づけているかのようです。

 ただ、さすがに、一ヶ月を超え、更に余震が続くと、ともすれば疲れから思考停止に陥り(この思考停止はエポケーではないですよ)、震度5くらいなら安全を確保する気にならないというところが困ったものです(笑)。実際、今や、福島明工社では、震度5弱では棚から物すら落ちません。

 神風が吹いているのか、須賀川市は原発から60kmの距離にあるのに、一応、飲み水の心配すらいらないくらい放射能問題が逸れてくれています。

 とりあえず設備的な復旧は終了しましたが、時間が経ってみると調子の悪い機械がいくつか出てきたので、それらの修理交換に700万円。上下水道の修復に400万円。地割れや建物の修復に500万円。建物が建っている土手の補強に1,400万円。どうやら3,000万円くらいの出費になりそうです。さて、補助金や保険でどこまで戻ってくるか(笑)。

 まあ、ほんとに事件はおきますよ。社員にも(やっぱり)いろいろ出てきました。

 ベテランのプレス工がはやる気持に負けて禁断の技を使ってしまい、左手を大けがで入院。プラスチック成形の課長が腹痛を我慢していたら実は腹膜炎でこれまた入院。生産技術の社員が対人障害の診断書を持ってきて2ヶ月休職。同じく生産技術の社員が急性胃腸炎で高熱を出して寝込んでしまい、とどめの一発が資材の社員の父親ですけど、未来を悲観して自殺してしまいました。

 須賀川市(人口8万人)が把握している損害状況は、市道被害494件、橋梁被害5件、通行止め48箇所、河川被害2件、マンホール被害558件、流水被害48件、雨水渠被害3件、ため池96件、水路244件、農道121箇所、農地238箇所。家屋被害は調査終了棟数13,658件(内訳は半壊951、大規模半壊280、全壊822、一部損壊11,605)。

 それでも、弊社の配線器具は被災地を含めめちゃくちゃ需要があって、4月からずっと夜9時まで残業でものづくりをしています。たぶん、これって、幸せなんですよね。

 残念ながら神風は長くは続かなかったようです。初期の水素爆発で北西へ流れた放射性物質は、3ヶ月を経て国道4号沿いに南下、郡山・須賀川・白河・那須・宇都宮、浅草をも舐めて静岡まで達しています。

 今や、政府発表の「安全」基準がいかに「経済重視」の「保身」から出たインチキだったかは少し勉強した日本国民には常識になりつつありますが、ともかく年間1ミリシーベルト以上の被爆の恐れがある場合には避難・除染が必要で、上記の地域は民間レベルの測定情報を見るだけでもはやその域に。更にホットスポットの存在が細かくわかってくる中では、大雑把なとらえ方ではとてもすまされない。もっと言えば、煮ても焼いても消えない放射性物質は、この先更に風向きによってどこへ溜りどこへ拡がるかわかったものではない。

 ともかく、在福島人としては、拡散を防止し、被爆量を最小化するために、集めて、とりあえず隠すことを行わねばならない。

 弊社も放射線測定器を購入しました。弊社のある岩瀬地区は須賀川市の中でもホットスポットにあたっていることが判明、42歳以上の義勇兵22名に装備を用意し、除染作戦を開始します。

 6月2日、郡山市で田中優氏の講演を聞きました。氏のパフォーマンスのあり方、イヤミも怒りも悲しみも臭わせずユーモアで未来に向けて「敵」と対峙する話術・発送術に感銘を受けました。9日、白河市の氏の講演にもう一度参加したので、ノートを完成させ、弊社除染部隊の出陣にあたってレクチャーをします。

 氏の述べた数々の話題の中でも、除染・避難はいつからはじめても効果がある、というトピックには驚きとともに感激しました。被爆量は足し算ですから、水素爆発から3ヶ月後に避難しようと1年後に避難しようと、直後に避難したのの半分くらいは十分に効果があることになるという、あの話です。

 避難は用心、と言い換えるしかないのが残念ですが、内部被爆を抑えるために、できるだけのことはしようと、また、それを政府の発表・県のお達しの内容に構わず、年間1ミリシーベルト以上は「危険」と、ただそれだけを(これは法令遵守でもありますし)きちんと守れるように、行動し、また社員やこの地の人々に知らせていくつもりです。その輪の中には私の一つ年上の市長ももちろん入っています(笑)。

 放射性物質を体内に取り込んでもそれを排出できる、あるいはそれに傷つけられた遺伝子を回復させられる「免疫」力を高めて、20年経ってもこうしてメールが書ける仲でいられるようにしなくちゃね。それにはいい気分で笑って生きるのが一番。

 さて、そう言っておきながら、6月4日(土)あたりから発熱、強烈な頭痛を伴ってぐんぐん上がり、ついに震災後初めて月・火と会社を休んで寝床でうなっておりました(笑)。なんでも風邪がはやっているとか? この時期になってこんな風邪をひくとは、やはり私も人の子だったか(笑)。まあ、原因は疲労以外のなにものでもありますまい。

 8日の午前3時、やたらにすっきりと目が覚め、どうやら風邪は通り過ぎていったらしく、気分良好で、あとは鼻声が徐々に元の美声に戻るのを待つだけでしょう(笑)。今日現在、社員曰く85%くらいの復旧率のようです(笑)。

 15日は株主総会でした。無事にすべて案どおりにいきまして、取締役にも再任され、直後の取締役会にてあらためて代表に推挙されましたので、あと2年は社長業が続きます。これでやっと2010年度が終了しました。いささかくたびれました。

2011611_6 いよいよ16日から除染作業開始です。まず、敷地内の平面図を用意し、地上50cmの高さで、建物のまわりを中心に何十箇所も放射線の測定を行います。次に高いところ(屋根や雨樋)に登って、そこの土や枯葉やゴミを真下に落とします。それから建物の壁に沿って、なにもかも削り、拾い、掬って、それらをドラム缶にいれて蓋をします。最後にドラム缶を、できるだけ深い穴を掘ってそこへ埋め、コンクリートを流し込んで終了、という手順です。ドラム缶は鉄ですが、コンクリートはアルカリ性なので、そうすれば錆びないというわけです。

 防護服に身を固めた18名で除染作業を行ってみたら、事前の測定では、ほとんどの箇所が1~2マイクロシーベルト毎時でしたが、雨樋から落ちた水が溜っているところではなんと40マイクロシーベルト毎時の部分を発見。驚きました。3時間の作業で、ドラム缶12本分の土や枯葉を集めました。そうしてどかしてみたら、1マイクロシーベルト毎時まで落ちました。確かに除染作業は効果があります。今後も継続して行います。

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2011年4月 4日 (月)

復旧宣言

 わが福島明工社が製造販売している配線器具は、被災地の復旧・復興に必要なインフラの一部であるとの思いから、弊社の社会貢献は、震災後の注文にすべてお応えすることであると、社員に繰り返し伝えてきました。 

 おかげさまで弊社は、生産に関するすべての機械設備のチェックと調整・修理が終了しましたので、3月29日をもってお客様に対し、生産ラインが復旧した旨をお伝えすることができました。

 30日は、朝4時に東京を出発、8時前に須賀川に到着。昼休みの終わった後に全社員を食堂に集めて、災害見舞金を手渡しました。そのとき、話したのは、災害にあった人が陥る精神状態についてです。

 最初は茫然、次に異常にハイになり、やがてまわりに文句を言い出し、最後は自信をなくし疑心暗鬼に陥る。これが、心の動きであり、どんな人も程度の差こそあれ、起きることなので、他の人がもし口うるさくなったりしても、それは今、この状態に差し掛かったんだ、と見なして、くれぐれも「こんなときにその人間の本性が出る」なんて個人攻撃をするなと伝えました。

 災害見舞金は若手社員には強烈にウケたみたいでよかったです。融資の申し込みは年配の社員からさっそく一件、ありました。もう、なんと言えばいいのか……。

 会社では30代の社員の生き生き度が強烈に際だっていて、これはもしかすると、生まれてからいい思いをしてこなかった世代が、ともすれば戦争でも起きればいいのにとまで厭世的になっていたところに、本当の天変地異が来て、生き甲斐を感じ始めているからなのかもしれない、というようなことを考えています。弊社の仕事そのものが彼らの生きる糧になってくれていることが嬉しい反面、今後その場を続けていくことに対する責任の重さも感じています。

 被災地でご苦労されている(私たちももちろんそうなんですが)方々、亡くなった方も大勢いるのに、何を言っているのかと叱られそうですが、この時代、この場所でまだ生きている、ということは、生きて何かをしろ、と天の誰かに言われていることなのかもしれないとも思うのです。

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2011年3月29日 (火)

罹災から復旧へ

 3月11日(金)午後の大地震、福島県須賀川市の会社から車で15分ほど離れた、須賀川インターそばの蕎麦屋で罹災しました。揺れが始まってからすぐ、店の外に出たのですが、目の前で家の屋根瓦が落ちていく有様を目にし、びっくり。揺れがおさまってから店の中に入ってみたら、ぐちゃぐちゃ。

 会社にとってかえしましたが、途中の道路は数ヶ所持ち上がっており、のろのろ運転。会社では機材が動いてしまい、断水状態。インターネット環境もだめ、電話も繋がらず、社員を一度中庭に集めて、怪我人がいないことを確認してから家に返し、社長室内で散乱した書類を片付けてから、車で町に出てみました。

 崩落した建物、散乱するガラス、でこぼこの道路。火事こそありませんでしたが惨憺たる有様で、東北自動車道も通行禁止になり、宿をさがしましたがどこも休業。覚悟を決めて、東京へ一般道で戻ることにしました。

 須賀川、白河と震度6強の地震に襲われたため、道路の状況が悪く、大渋滞というかのろのろ運転。すっかり日も暮れ、那須を越えるころには町が停電状態。そのまま小山市に入るまで、ずっと停電でした。こういってはなんですが、すばらしい星空が見えたのが唯一つの気休め。車の中ではずっとラジオをつけていて、刻一刻と拡がる被害状況に恐ろしさを感じつつ、結局夜が明けた頃に東京の北の果てにたどりつき、帰宅したのは午前8時頃。家内と再会を喜びあって、とりあえずコーヒーで一息つきました。14時間くらい運転していたことになります。

 12日(土)は一日寝ていて、13日(日)は父の家で対策を話し合い、14日(月)からは練馬区の本社に出社して、情報の収集に努めていました。

 福島の社員の中には家が半壊したものもおり、特に断水のため辛い状況のようです。工場の建物や敷地内での異常もいろいろわかってきました。

 しかし、わが福島明工社の社員の士気は高く、地震から一週間閉鎖していた工場に、その間、何人もが集結し、少しずつではありますが、復旧に向けて調査と準備を進行しておりました。22日からほとんどの社員が出勤し、ポリタンクに水を汲んで、製造を再開しております。

 私はその震災以降、ずっと東京本社でお客様に対応しながら、福島工場の復旧の指揮をとり、全国の社員向けメーリングリストや会社のホームページで復旧情報を更新したり、決算の準備をしたりしていました。

 そして、ついに 東北自動車道が開通しました。なので、25日の朝早く東京を出発し、銀行や役所をまわり、復旧工事の見積りをとって、給料日の全体集会をやって、一泊し、26日の午後に東京へ帰ってきました。

 実際に須賀川についてみたら、商店街が倒壊家屋撤去のために立ち入り禁止だったり、風評被害というか農作物の出荷停止で農家ががっくりきているとか(この地域の農作物は問題ないレベルなんですが)、ガソリンスタンドに向かって給油希望の車の列が2kmも3kmも並んでいるとか、まあ、いろいろでしたが、社員の士気は本当に高く、また明るかったのがとても嬉しかったです。

 津波とは関係ない土地でしたが、震度6強はさすがに会社の土地建物にも大きな爪痕を残していて、まずは下水道の再敷設と縦横に走る亀裂の穴埋めを業者を交えて指示し、崩れかけている土手の修復工事の見積りを発注するところから仕事が始まりました。

 山のようにお菓子を積んでいったのがバカ受けして、帰る頃にはいつもの空気に似た感じになったので、社長の仕事は安定を作ることだなあ、と自分で納得した次第です。30日からはまた、水・木・金と福島で過すことになります。

 28日の定時取締役会で、福島明工社全社員個人に宛てて、災害見舞金を現金で用意し、私が持っていくことが決まりました。他に、4月の定期昇給の決定、また、家屋に損害があり緊急にまとまったお金が欲しい社員に対しての会社としての貸し付けも。25日はお菓子をもってのサンタクロースでしたが、30日はお金をかついでの石川五右衛門です(笑)。

 被災者になってみての実感は、この2週間ばかりよくやってきたなあ、という感慨の他には、底なしの疲労感ばかりで(笑)、一昨日だったか、家内と、「地震の後、まだ一度も泣いてないなあ」と話したところでした。昨日、ゴッドハンドの異名を持つ南青山のカリスマ整体師に一ヶ月ぶりの予約でかかってきましたが、どこをどうしたらこんなにストレスがたまるんだ、といわれるくらい、身体ががちがちになっていて、ずいぶん苦労してました(笑)。

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2011年1月20日 (木)

続々・『電材流通新聞』に原稿を書きました

 2011年正月、一番発行部数の多い業界紙『電材流通新聞』の「年頭所感」として、業界トップが挨拶文を寄せた中、弊社では、私がその任に着き、ものづくりの正道を行くぞ、という覚悟をこめて、文章を書きました。
 よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。写真も載っていますがまっ黒です(笑)。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20110115.pdf

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2010年12月21日 (火)

福島明工社製品が「須賀川市工業製品」に認定されました

20101215
 福島明工社製の明工社ブランド製品「19インチラック用ブレーカ搭載形200V接地コンセント」が、2010年12月15日、福島明工社の地元福島県須賀川市による第1回目の「須賀川市工業製品認定制度」で15社24製品の中に選ばれました。

 2009年6月に橋本克也市長の企業訪問を受け、8月に同製品をもって福島民報の「わが社の主力製品」コーナーに掲載され、それから1年4ヶ月。この製品はちょうど私が福島明工社社長として着任した2007年2月以降に開発が始まったので、どうにも感慨深いものがあります。

 また、認定証交付に伴い、福島民報でもコラムや記事にしていただきました。以下に一挙大公開します。とくとご覧あれ。

福島明工社製「19インチラック用ブレーカ搭載形200V接地コンセント」
http://www.meiko-g.co.jp/product/ME8635-8.html

須賀川市工業製品認定制度
http://www.city.sukagawa.fukushima.jp/3680.htm

須賀川市工業製品認定一覧
http://www.city.sukagawa.fukushima.jp/3212.htm

須賀川市工業製品認定証
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20101215.jpg

福島民報コラム「あぶくま抄」 2010年12月17日
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20101217.pdf

福島民報記事「須賀川の優れた工業製品15社の24品認定」 2010年12月18日
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20101218.pdf

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2010年11月17日 (水)

続・『電材流通新聞』に原稿を書きました

 11月11日は「配線器具の日」。平成11年(1999年)に日本配線器具工業会がそう定めました。2010年のこの日発行の、一番発行部数の多い業界紙『電材流通新聞』の「配線器具の日」特集のために、工業会メンバー各社の代表が原稿を寄せました。
 弊社では、私がその任に着き、昨年に引き続き、現在福島で行っている教育を中心にした弊社の姿勢をうったえる文章を書きました。
 よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。写真も載っていますがまっ黒です(笑)。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20101111.pdf

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2010年8月27日 (金)

久しぶりに人前で詩を朗読します・其ノ肆

「目から耳へ」其ノ肆

ピアノの朗読 + 詩の演奏
poetry recital / music reading

後藤國彦
川村龍俊

http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20101023.html

日時:2010年10月23日(土曜日)午後5時半開場

場所:門仲天井ホール
   東京都江東区門前仲町1-20-3-8F  TEL. 03-3641-8275
   東京メトロ東西線「門前仲町」駅3番出口から徒歩3分
   都営大江戸線「門前仲町」駅6番出口から徒歩1分
   http://www5f.biglobe.ne.jp/monten/

入場無料(投げ銭制)
全自由席(先着順)
予約:不要

主催:Music in Motion(後藤)お問い合わせはこちらまで
   tel:046-871-3835 email mkgoto@wing.ocn.ne.jp

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2010年6月30日 (水)

書いた詩が3回目の活字になりました

Misokaduki  『詩と思想』2010年7月号の111p(土曜美術社出版販売)に、私が書いた詩が掲載されました。
 これも、2009年7月の『詩と思想』の時と同様、投稿が採用されたというのではなくて、年間購読を申し込んだら編集部から依頼が来たから書いたのでした(笑)。やはり、添削等一切なし、書いたままです。

 活字第1作「居待月」、第2作「九夜月」に続いて、なんか、タイトルに「月」をつけないと書けないみたいですが、タイトルは書いてからつけてます(笑)。つーか、シリーズものなの、これ? さあ。テイストは、前2作ともまた違うつもりです。

 ご興味ある方は以下のURLでPDFファイルをダウンロードして読んでください。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/misokaduki.pdf

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市長企業訪問(株式会社福島明工社)

20090626_3 今頃気がついたのですが、2009年6月26日(ちょうど1年前!)に、橋本克也市長(福島県須賀川市)が弊社を訪れ、社長室で当初の予定時間を20分もオーバーして話し込んでくださったときの様子が、須賀川市のホームページに掲載されていましたので、ご紹介します。
 私の左手の後ろにあるのはCDラック(笑)、市長の後ろに展開するのは壁一面の本棚(詩集ばっかし)。

市長企業訪問(株式会社福島明工社)
 須賀川市では、市内企業(製造業)に対する産業支援の充実を図るため、市長による主要企業訪問を実施しています。
 6月26日は、株式会社福島明工社(大久保)を訪問し、川村代表取締役社長から企業概要について説明をいただき、情報交換を行いました。
 同社工場は、昭和44年に操業を開始しています。主力製品として、設備用・病院用・家庭用等の配線器具の製造を行っています。日本で初めて本格的な医用コンセントを販売するなど、伝統で培ってきた技術力と社会の要求に応えた品質管理を徹底重視していることなど、社内における取組みについて紹介いただきました。
(担当:商工観光課)

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2010年3月23日 (火)

書いた詩が2回目の活字(?)になりました

Sayoduki_3 詩人支倉隆子氏の個人詩誌『西へ。』13号(2010年3月発行。ちなみに、同誌は10号まで『南へ。』という題名でした)に、私が書いた詩が掲載されました。

 これは、支倉氏から「ケージ論でも何でもいいから書いて」と頼まれたとき、やっぱり詩に挑戦してみようと思いたって挑戦してみたものです。広瀬大志氏とのメール談義で、「川村さんは長編詩が書けるかも」と言われたこともありまして(笑)。依頼原稿ですから提出すれば絶対掲載されることが決まっていて、それも元原稿のまま何もいじられないで掲載されることも知っていたので、こういう機会をとらえて詩を書いてみるというのは、ずるい(?)と言えばずるいのですが(笑)、まあ、そこはそれということで。

 生まれて初めて活字になった拙詩「居待月」と比べてみたらテイストが似てますけど(タイトルなんかもろに)、詩を書くにあたっての世界観はかなり違っていた(はず)と自分では思っています。

 ご興味ある方は以下のURLでPDFファイルをダウンロードして読んでください。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/sayoduki.pdf
※詩誌『西へ。』の体裁は、A4ヨコ両面印刷右辺ホチキス閉じというもので、私の詩は表紙の裏面にA4全面で掲載されましたので、掲載ページのレイアウトはこのPDFと同じです。

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2009年11月17日 (火)

『電材流通新聞』に原稿を書きました

 11月11日は「配線器具の日」。平成11年(1999年)に日本配線器具工業会がそう定めてから、11年が経って、11が3並びになった2009年のこの日発行の、一番発行部数の多い業界紙『電材流通新聞』の「配線器具の日」特集のために、工業会メンバー各社の代表が原稿を寄せました。
 弊社では、私がその任に着き、現在福島で行っている品質向上を中心にした弊社の姿勢をうったえる文章を書きました。
 よろしかったら下記URLでPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。写真も載っていますがまっ黒です(笑)。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20091111.pdf

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2009年11月 7日 (土)

『クラシック・スナイパー5』に原稿を書きました

20091105

 『クラシック・スナイパー5 特集 現代の名/迷演奏家』の20p(2009年11月1日発行、青弓社)に、私の書いた原稿が掲載されました。
 これは、同誌編集者鈴木淳史君からの「唐突ですが、「クラシック・スナイパー」誌の次号、特集「現代のめい演奏家」アンケートにご協力お願いできませんでしょうか。(1)現代のめい演奏家(名でも迷でも)5人の名前を挙げ、可能ならば(2)その人たちについて計400字でコメントをお寄せください」という依頼によるものでした。
 他ならぬ鈴木君のお願いとあって、ほいほい引き受けたのはいいのだけれど、なんで音楽家でも著述業でもない私に原稿を依頼してきたのかは謎です(笑)。
 ちなみに原稿料がでるとは思っていませんでしたが、掲載誌が3冊送られてきました。うーん、青弓社、太っ腹(笑)。
 本当は本を買っていただくのがいいのでしょうけれど(!)、私の文を読むために買っていただくにはあまりにも原稿量が少ないので(笑)、アンケートページ開始の主旨説明部分と、自分の原稿を切り張りして1枚にまとめてみました。ご興味ある方は以下のURLでPDFファイルをダウンロードして読んでください。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20091107.pdf

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2009年9月25日 (金)

続々・久しぶりに人前で詩を朗読します

続々「目から耳へ」

ピアノの朗読 + 詩の演奏
poetry recital / music reading

後藤國彦
川村龍俊

http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20091123.html

日時:2009年11月23日(月曜日・祝日)午後6時半開場

場所:名曲喫茶ヴィオロン
   東京都杉並区阿佐谷北2-9-5 TEL. 03-3336-6414
   JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩5分
   地図:http://www.h7.dion.ne.jp/~sozoro/violin.html

料金:1,000円 珈琲付

予約:不要

主催:Music in Motion(後藤)お問い合わせはこちらまで
   tel:046-871-3835 email mkgoto@wing.ocn.ne.jp

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2009年8月11日 (火)

福島民報に写真入りで掲載されました

20090808a
福島県で一番発行部数の多い新聞「福島民報」の取材を受け、「ふくしま産業最前線」欄の「わが社の主力商品」というコーナーに、写真入りで掲載されました。

2009年8月8日
わが社の主力商品「コンセントボックス200V仕様」
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20090808.pdf (597.9KB)

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2009年7月29日 (水)

続・中学校で先生をしてきました

20090625c
ブログを読んでくださった先生の推薦により(笑)、磐崎中学校で授業をしてまいりました。

福島県いわき市立磐崎中学校 職業講話学習
2009年6月25日10:35~12:25
対象:3学年全員(4クラス・143名)、校長以下教諭9名

http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20090625.html

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2009年7月 7日 (火)

書いた詩が初めて活字になりました

Imachizuki

『詩と思想』2009年7月号の128p(土曜美術社出版販売)に、私が書いた詩が掲載されました。
これは、生まれて初めて、書いた詩が活字になったという、私にとっての事件です(笑)。
が、投稿が採用されたというのではなくて、年間購読を申し込んだら編集部から依頼が来た、というのが真相なので、誰も添削も指導もしていません。そういう意味では本当に私が書いたままがそのまま載ってしまいました。
ご興味ある方は以下のURLでPDFファイルをダウンロードして読んでください。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/imachizuki.pdf


……ちなみに、高校・大学時代のバンド活動時の「歌詞」を除けば、発表を前提に詩を書いたのは上記以外には詩のボクシング第二回東京大会のときだけです。ただし、あくまでも「朗読原稿」という前提で書いていますので、文字で読まれることは想定していませんでした。でも、この際ですから、合わせてご覧ください(笑)。
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/shiboku.html

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2008年9月24日 (水)

続・久しぶりに人前で詩を朗読します

続「目から耳へ」

ピアノの朗読 + 詩の演奏
poetry recital / music reading

後藤國彦
川村龍俊

http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20081013.html

日時:2008年10月13日(月曜日・祝日)午後6時半開場

場所:名曲喫茶ヴィオロン
   東京都杉並区阿佐谷北2-9-5 TEL. 03-3336-6414
   JR阿佐ヶ谷駅北口徒歩5分
   地図:http://www.h7.dion.ne.jp/~sozoro/violin.html

料金:1,000円 珈琲付

予約:不要

主催:Music in Motion(後藤)お問い合わせはこちらまで
   tel:046-871-3835 email mkgoto@wing.ocn.ne.jp

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2008年8月 7日 (木)

福島放送で幹部社員研修の講師をしてきました

 2008年7月14日、民報サロンを読んでくださった福島放送(テレビ朝日系地方テレビ局)の吉田幹則社長からお声がけをいただきまして、福島放送の幹部社員30名(社長以下役員、部長以上全員)を対象に、幹部研修の講師をしてきました。

 4月にお話をいただいて、それからいろいろどうしようか考えていたのですが、ただ黙って話をしてもおもしろくなかろうということで、午後1時から5時まで4時間の枠をとっていただき、30名にそれぞれ違う詩を朗読してもらって講評する、ということにしました。

 6月半ばに、詩を30編選んで、研修案内のメール(10506 Bytes)と一緒に福島放送の総務部へ送りました。

 選んだ詩は、下記のとおりです(詩集初版発行年順)。

 陀田勘助「一情景 大震災のあと」 『陀田勘助詩集』国文社、1963
 阪田寛夫「葉月」 詩集『わたしの動物園』牧羊社、1965
 那珂太郎「死 あるひは詩」 詩集『音楽』思潮社、1965
 逸見猶吉「ベエリング」 『定本 逸見猶吉詩集』思潮社、1966
 宗左近「島をまわる海」 詩集『炎える母』彌生書房、1968
 北村太郎「問題は何ひとつ…」 詩集『冬の当直』思潮社、1972
 菅原克己「野」 『定本 菅原克己詩集』永井出版企画、1979
 松下育男「顔」 詩集『肴』紫陽社、1979
 阿部恭久「すこし、あきた」 詩集『田のもの』風媒社、1981
 藤井貞和「パンダ来るな」 詩集『ラブホテルの大家族』書肆山田、1981
 衣更着信「老人」 詩集『孤独な泳ぎ手』書肆季節社、1983
 山本哲也「草色のつなぎを着た男」 詩集『静かな家』七月堂、1985
 荒川洋治「城崎」 詩集『ヒロイン』花神社、1986
 高階杞一「明日は天気」 詩集『キリンの洗濯』あざみ書房、1989
 朝吹亮二「[よるべな]」 詩集『明るい箱』思潮社、1994
 大木実「いのちの火」 詩集『駅の夕日』思潮社、1994
 水野るり子「ものたちと」 詩集『はしばみ色の目のいもうと』現代企画室、1999
 江代充「岸の語り」 詩集『梢にて』書肆山田、2000
 池澤夏樹「波かぞえ」 詩集『この世界のぜんぶ』中央公論新社、2001
 茂本和宏「ゆっくりときれいな朝が……。」 詩集『冬のプール』思潮社、2002
 布村浩一「場所」 詩集『大きな窓』詩学社、2002
 大橋政人「あぶない、あぶない」 詩集『秋の授業』詩学社、2004
 辻征夫「棒論」 『辻征夫詩集 みずはつめたい』理論社、2004
 清水哲男「落日」 詩集『黄燐と投げ縄』書肆山田、2005
 井川博年「日暮れの町で」 詩集『幸福 KOFUKU』思潮社、2006
 浜田優「(幼稚園 PM4:32)」 詩集『ある街の観察』思潮社、2006
 岩佐なを「飯に箸を立てる」 詩集『しましまの』思潮社、2007
 金井雄二「ぼくのゆるやかな時」 詩集『にぎる。』思潮社、2007
 岸田将幸「初めての橋」 詩集『丘の陰に取り残された馬の群れ』ふらんす堂、2007
 須藤洋平「午睡の夢」 詩集『みちのく鉄砲店』青土社、2007

 当日は、開始に先立ってアンケート用紙(4931 Bytes)を配付してもらいました。

 これに10分間で記入してもらい、別室で控えている私のところへ届けられたときが研修の始まりでした。

 要するに、「社長命による宿題をしてこない人を選別する」のが目的だったわけです(笑)。案の定、30名中、9名が30回未満の音読回数でしたので、その9名には吉田社長と一緒に別室へ出てもらって、残った20名に向けて、こういう話(9432 Bytes)をしました(これは私が話した内容を、その場でメモした20名のノートを集めて、総務部長が再構成したものです)。

 で、それからいよいよ一人ずつの朗読の始まり。途中、別室に行っていた社長以下10名が合流し(社長から相当なお目玉をくったそうです)、30番目の朗読終了が、約束の5時でした。

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中学校で先生をしてきました

20080627
 民報サロンを読んでくださったPTA役員の推薦により(笑)、岩瀬中学校で授業をしてまいりました。

 福島県須賀川市立岩瀬中学校 職業講話学習
 2008年6月25日13:35~15:25
 対象:1学年全員(2クラス・59名)、校長以下教諭6名

 岩瀬中学校 2008年6月26日 学校だより「友愛」No.38 198KB

 福島民報 2008年6月27日 郡山・県南地区版記事 2,057KB

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福島民報に6回エッセイを書きました

 福島県で一番発行部数の多い新聞、福島民報の「民報サロン」欄に、乞われてエッセイを20日毎、全6回の約束で書かせていただきました。

 続き物ではなく、毎回読み切りがルールですが、お題は全く書き手の自由。幸い、ほぼ99%まで直しは入りませんでした(新聞コード上の表現・漢字の訂正程度)。

 執筆にあたっては、文化の6分野(演劇・詩・舞踊・映画・美術・音楽)を枕に据え、(社員も読むことを前提に)本題の話を仕事がらみにし、末尾に落ちをつけるという、落語の形式を借りました。

2008年3月6日掲載 1/6
「事件」は必ず起こる 175816 Bytes

2008年3月26日掲載 2/6
自分の「好み」を捨てる 243236 Bytes

2008年4月16日掲載 3/6
人が「資質」を教えてくれる 205342 Bytes

2008年5月6日掲載 4/6
クレームは「SOS」だ 222073 Bytes

2008年5月27日掲載 5/6
わかるのは「一瞬」 144425 Bytes

2008年6月17日掲載 6/6
「ちゃんと」やれ 135825 Bytes

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2008年2月 4日 (月)

自腹を切って「旦那」の世界へ足を踏み入れます

「吉村津さんの地唄舞を観たい会」

  吉村津
  坂東冨起子
  吉澤昌江
  木田敦子

  http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20080309.html


日時:2008年3月9日(日)
   午後2時半開場 午後3時開演 (午後5時頃~ 食事会)

場所:豆富料理「笹乃雪」四階大広間 http://www.sasanoyuki.com/
   JR山手線「鶯谷北口」より徒歩2分。
   東京国立博物館より徒歩10分、タクシー3分。
   浅草雷門よりタクシー7分。

料金:完全予約制
   7,000円(食事付・飲み放題)
   1,500円(食事無し)

予約:メールで tatsutoshi.kawamura★nifty.ne.jp (★を@に変えてください)まで。
   2008年2月26日必着でお願いします。
   タイトルを「吉村津さんの地唄舞を観たい会予約申込」としてください。
   本文に、食事付/無しの別、人数、お名前を明記してください。

主宰:吉村津さんの地唄舞を観たい会 川村龍俊・幸子
  (お問い合わせも上記メールアドレス宛にお願いします)

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2007年9月26日 (水)

久しぶりに人前で詩を朗読します

 「目から耳へ」

  ピアノの朗読 + 詩の演奏
  poetry recital / music reading

  後藤國彦
  川村龍俊

  http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20071103.html


日時:2007年11月3日(土曜日・祝日)午後2時開場

場所:中国茶芸館 Blue-T
   東京都世田谷区松原3-42-12 丸しフルーツビル3階 tel:03-3325-8981
   京王線・東急世田谷線 下高井戸駅北口目の前果物屋左階段上ル

料金:完全予約制
   1,500円(+終演後もし良かったら投げ銭)
   飲茶(手作り点心バイキングと高級中国茶4種)付

予約:中国茶芸館 Blue-T
   email blue.t@snow.ocn.ne.jp

主催:Music in Motion(後藤)お問い合わせはこちらまで
   tel:046-871-3835 email mkgoto@wing.ocn.ne.jp

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2002年1月 3日 (木)

ブラウン『おやすみなさいおつきさま』

20020103
おやすみなさいおつきさま 評論社の児童図書館・絵本の部屋
マーガレット・ワイズ・ブラウン (著), クレメント・ハード (イラスト), せた ていじ (翻訳)
価格: ¥1,000
単行本 (1979/01/01)
評論社 ; ISBN: 4566002330 ; サイズ(cm): 18 x 22
amazon.co.jpで買えます

 雅子様の愛読書として一躍有名になった絵本だそうだが、寡聞にして幸子が買ってくるまで私はその話を知らなかった。我が家のきゅい君にとってはおやすみのための絵本はこれまで幾冊もあったけれど、この絵本はとどめをさすものとして長く読まれ続けていくだろう。色調を限定した時代背景を思わせるレトロな落ち着きの絵柄もさることながら(原書は1947年刊)、へたな詩も真っ青なみごとな短文がむちゃくちゃ想像力をかきたてる。山岸健教授なら、さしずめ社会学の授業で一番先に取り上げそうだ。

 このうさぎのぼうやの部屋には絵が3枚かかっている。我が家にはいきなりアンディ・ウォーホールのLove#3がかかっているところがなんともであるが、部屋にあるもの、部屋にいるものに対して一つ一つ声をかけていくくだりは自分の位置を確かめながら存在を実感する最適の方法だろう。そして、最後の一文の衝撃に、あとは本当の意味での沈黙が訪れる。すでにこれはケージである。この年、ケージが作った曲といえば、Music for Marcel Duchamp (1947)、Nocturne for Violin and Piano (1947)というあまりにも美しい小品と、The Seasons, a Ballet in One Act (1947)というバレエのための曲である。まだ4'33" (1952)までは5年あるが、すでにこの本にはそれがある。

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