罹災から3ヶ月
4月1日には予定通り、昨年秋に内定を出していた高卒2名と大卒1名の入社式を挙行しました。融資の申し込みは更に増えて、現在5件です。
4月5日、47歳になりました。なんともすさまじい誕生日だなあ、と思います。慣れというのも恐いもので、もはや、震災がなかったときに、どのような心持ちで暮らしていたのか、思い出すことができません。目先のこと、未来のこと、それらに向けた眼差しと態度は、いつのまにか人々を、自分のことばかり見ていることから解放し、人のために生きるよう動機づけているかのようです。
ただ、さすがに、一ヶ月を超え、更に余震が続くと、ともすれば疲れから思考停止に陥り(この思考停止はエポケーではないですよ)、震度5くらいなら安全を確保する気にならないというところが困ったものです(笑)。実際、今や、福島明工社では、震度5弱では棚から物すら落ちません。
神風が吹いているのか、須賀川市は原発から60kmの距離にあるのに、一応、飲み水の心配すらいらないくらい放射能問題が逸れてくれています。
とりあえず設備的な復旧は終了しましたが、時間が経ってみると調子の悪い機械がいくつか出てきたので、それらの修理交換に700万円。上下水道の修復に400万円。地割れや建物の修復に500万円。建物が建っている土手の補強に1,400万円。どうやら3,000万円くらいの出費になりそうです。さて、補助金や保険でどこまで戻ってくるか(笑)。
まあ、ほんとに事件はおきますよ。社員にも(やっぱり)いろいろ出てきました。
ベテランのプレス工がはやる気持に負けて禁断の技を使ってしまい、左手を大けがで入院。プラスチック成形の課長が腹痛を我慢していたら実は腹膜炎でこれまた入院。生産技術の社員が対人障害の診断書を持ってきて2ヶ月休職。同じく生産技術の社員が急性胃腸炎で高熱を出して寝込んでしまい、とどめの一発が資材の社員の父親ですけど、未来を悲観して自殺してしまいました。
須賀川市(人口8万人)が把握している損害状況は、市道被害494件、橋梁被害5件、通行止め48箇所、河川被害2件、マンホール被害558件、流水被害48件、雨水渠被害3件、ため池96件、水路244件、農道121箇所、農地238箇所。家屋被害は調査終了棟数13,658件(内訳は半壊951、大規模半壊280、全壊822、一部損壊11,605)。
それでも、弊社の配線器具は被災地を含めめちゃくちゃ需要があって、4月からずっと夜9時まで残業でものづくりをしています。たぶん、これって、幸せなんですよね。
残念ながら神風は長くは続かなかったようです。初期の水素爆発で北西へ流れた放射性物質は、3ヶ月を経て国道4号沿いに南下、郡山・須賀川・白河・那須・宇都宮、浅草をも舐めて静岡まで達しています。
今や、政府発表の「安全」基準がいかに「経済重視」の「保身」から出たインチキだったかは少し勉強した日本国民には常識になりつつありますが、ともかく年間1ミリシーベルト以上の被爆の恐れがある場合には避難・除染が必要で、上記の地域は民間レベルの測定情報を見るだけでもはやその域に。更にホットスポットの存在が細かくわかってくる中では、大雑把なとらえ方ではとてもすまされない。もっと言えば、煮ても焼いても消えない放射性物質は、この先更に風向きによってどこへ溜りどこへ拡がるかわかったものではない。
ともかく、在福島人としては、拡散を防止し、被爆量を最小化するために、集めて、とりあえず隠すことを行わねばならない。
弊社も放射線測定器を購入しました。弊社のある岩瀬地区は須賀川市の中でもホットスポットにあたっていることが判明、42歳以上の義勇兵22名に装備を用意し、除染作戦を開始します。
6月2日、郡山市で田中優氏の講演を聞きました。氏のパフォーマンスのあり方、イヤミも怒りも悲しみも臭わせずユーモアで未来に向けて「敵」と対峙する話術・発送術に感銘を受けました。9日、白河市の氏の講演にもう一度参加したので、ノートを完成させ、弊社除染部隊の出陣にあたってレクチャーをします。
氏の述べた数々の話題の中でも、除染・避難はいつからはじめても効果がある、というトピックには驚きとともに感激しました。被爆量は足し算ですから、水素爆発から3ヶ月後に避難しようと1年後に避難しようと、直後に避難したのの半分くらいは十分に効果があることになるという、あの話です。
避難は用心、と言い換えるしかないのが残念ですが、内部被爆を抑えるために、できるだけのことはしようと、また、それを政府の発表・県のお達しの内容に構わず、年間1ミリシーベルト以上は「危険」と、ただそれだけを(これは法令遵守でもありますし)きちんと守れるように、行動し、また社員やこの地の人々に知らせていくつもりです。その輪の中には私の一つ年上の市長ももちろん入っています(笑)。
放射性物質を体内に取り込んでもそれを排出できる、あるいはそれに傷つけられた遺伝子を回復させられる「免疫」力を高めて、20年経ってもこうしてメールが書ける仲でいられるようにしなくちゃね。それにはいい気分で笑って生きるのが一番。
さて、そう言っておきながら、6月4日(土)あたりから発熱、強烈な頭痛を伴ってぐんぐん上がり、ついに震災後初めて月・火と会社を休んで寝床でうなっておりました(笑)。なんでも風邪がはやっているとか? この時期になってこんな風邪をひくとは、やはり私も人の子だったか(笑)。まあ、原因は疲労以外のなにものでもありますまい。
8日の午前3時、やたらにすっきりと目が覚め、どうやら風邪は通り過ぎていったらしく、気分良好で、あとは鼻声が徐々に元の美声に戻るのを待つだけでしょう(笑)。今日現在、社員曰く85%くらいの復旧率のようです(笑)。
15日は株主総会でした。無事にすべて案どおりにいきまして、取締役にも再任され、直後の取締役会にてあらためて代表に推挙されましたので、あと2年は社長業が続きます。これでやっと2010年度が終了しました。いささかくたびれました。
いよいよ16日から除染作業開始です。まず、敷地内の平面図を用意し、地上50cmの高さで、建物のまわりを中心に何十箇所も放射線の測定を行います。次に高いところ(屋根や雨樋)に登って、そこの土や枯葉やゴミを真下に落とします。それから建物の壁に沿って、なにもかも削り、拾い、掬って、それらをドラム缶にいれて蓋をします。最後にドラム缶を、できるだけ深い穴を掘ってそこへ埋め、コンクリートを流し込んで終了、という手順です。ドラム缶は鉄ですが、コンクリートはアルカリ性なので、そうすれば錆びないというわけです。
防護服に身を固めた18名で除染作業を行ってみたら、事前の測定では、ほとんどの箇所が1~2マイクロシーベルト毎時でしたが、雨樋から落ちた水が溜っているところではなんと40マイクロシーベルト毎時の部分を発見。驚きました。3時間の作業で、ドラム缶12本分の土や枯葉を集めました。そうしてどかしてみたら、1マイクロシーベルト毎時まで落ちました。確かに除染作業は効果があります。今後も継続して行います。
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