« 書いた詩が4回目の活字になりました | トップページ | 罹災から半年経過 »

2011年6月30日 (木)

福島第一原発事故後の放射能とどう付き合うか

 6月23日、須賀川市役所岩瀬支所所長と、市健康福祉部こども課課長、同保育幼稚園係長の3名が来社しました。放射能除染のため、白江小学校及び、白江こども園の校庭表土剥離作業を行なうにあたり、弊社隣接の市の土地に作業後の土を埋めるので了承して欲しいとのことでした。

 もちろんOKですが、三点、文句を言いました(笑)。一点は、遅い! ということ。梅雨前にさっさとやらんかい(笑)。もう一点は、試験的にやってみたら放射線計測値が三分の一になったとおっしゃるので、そうじゃなくて、規定値以下になるまで削れよ!(笑)。最後の一点は、土を、穴を掘ってブルーシートを敷いてその上にかけて埋めるとおっしゃるので、いつか国からここへ低レベル放射性廃棄物を持ってきてくれと言われたとき、あるいは東電に費用請求を行うとき、きちんと現物を渡さなくてはならないのだから、容器に入れて、日付や放射線量を書いた紙も入れて埋めなきゃだめだ!(笑)

 24日、全社員123名を集め、ここ一ヶ月ばかりかけて読みに読んだ原発や放射能について、「福島第一原発事故後の放射能とどう付き合うか」と題し、70分間ノーマイクで講演しました。正しい知識を持ち、怖がらずしかし気を遣って、できるだけ身体を休めながら生きていかないといけないよ、という主旨です。

 その日に配った資料のうち、2点をお見せしましょう。

 その1:(結局見ずに大迫力でドカンとしゃべってしまいましたが)事前に作って配った梗概
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20110624.pdf

18june2001jgs その2:汚染地図
http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20110618.jpg
※早川由紀夫 Yukio Hayakawa's Volcano Blog 「放射能地図(改訂版)2011/06/18(土) 18:00:49」 より

 2007年2月に社長になってから、平日単身赴任で須賀川市に住むようになって4年以上が経ちました。ジョン・ケージにならってマクロビオティックを2年ほど思いきりやっていた過去があることから、無農薬で化学調味料を使わない食事でないとイヤなので(笑)、赴任当初にそういう店を一所懸命探して、やっと見つけた「銀河のほとり」でずいぶんお世話になりました。ほどなく忙しくなって夜の食事を提供しなくなってしまってからはご無沙汰していましたが、「銀河のほとり」の有馬克子さんとは、マクロビオティックや芸術関連での共通の知人がいたりもして、ずっと連絡はとりあっていました。

 今や、「銀河のほとり」は、福島の子供達を救おうとする全国のNPOの基地になっています。被災後、私も何度かおじゃましましたし、家内もボランティアで炊事を手伝ったりしています。6月2日の郡山、9日の白河で私が聞いて大いに参考にした田中優氏の講演会も、そのNPOの力で行われました。

 須賀川には、そういう人たちが居ますし、全国から集まってきてもいます。JC(青年会議所)も、市役所も、子供達(と女性)を救うという大きなテーマを、経済活動より上位に掲げて、「連携して」行けないか、と考えますが、いかがでしょうか。もちろん、私に何かできることがあれば、喜んでお手伝いしていきます。

2011.09.12追記
 上記汚染地図の四訂版が2011年9月11日に発表されました。こちらをご利用ください。
 http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20110912.jpg
 ※早川由紀夫 Yukio Hayakawa's Volcano Blog 「放射能汚染地図(四訂版)2011/09/11(日) 08:00:00」 より

2011.12.13追記
 上記汚染地図の五訂版が2011年12月9日に発表されました。こちらをご利用ください。
 http://tatsutoshi.my.coocan.jp/20111209.jpg
 ※早川由紀夫 Yukio Hayakawa's Volcano Blog 「放射能汚染地図(五訂版)2011/12/09(金) 08:53:13」 より

|

« 書いた詩が4回目の活字になりました | トップページ | 罹災から半年経過 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

福島」カテゴリの記事

ミッション経営」カテゴリの記事